大切な人を慰めるためのたったひとつの方法

どなたであっても、他者を慰めることができる者になりたいと願っておられるのではないでしょうか?
今日は皆さんとご一緒に、どうしたら他者を慰めることのできる者になれるのかを考えます。

「この神は、どのような苦しみの中にあっても、私たちを慰めてくださり、また私たち自身もこの神からいただくその慰めによって、どのような苦しみの中にいる人でも慰めることができるようにしてくださるのである。」[Ⅱコリント教会への手紙1章4節]

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①神になぐさめられた経験を持っている人しか、他者をなぐさめられない

上記の聖書の言葉はパウロという人が書いた手紙です。
そこには神様に慰められたという個人的体験が、今度は人様を慰めることができる者へと変えられていく鍵であると述べています。

個人的体験として神になぐさめられたという経験をもっていることが大切です。
そうしないと家族を慰めることができませんし、友人を慰めることもできません。
なぜそんなことが言えるのかというと、「儀式は人を殺し、霊は人を生かす」と聖書にあるからです。

〇神の霊によって取り扱われたという個人的体験を通して神の霊は働きます。
その神の霊が私たちを通して他者の心に働くとき、人々は慰められる経験をするようになります。

②原理・原則を言うと人は反発する

人様を慰めている人をありのパパが観察していると「あなたは何々で何々だからいけないのよ。だから、こうすれば良い」と言っている人が時々おられます。
それを聞きながら、ありのパパはお腹の中で「だれもあなたのお説教を聞きたいって頼んでない」と突っ込みを入れます(笑)。

このようなことをする人々の多くは善意から「何とか失敗した原因を教えてあげなくちゃ」と思っておられるのです。
しかしこのような場合、失意のうちにある人は心がくたびれており、聞く耳をもちません。
ただ単に心の中でうるさがられるのがおちです。

③この聖書箇所には信仰の基本的な型が示されている

「生きる望みさえ失い、死ぬことを覚悟し、自分自身を頼みとせず、死人を復活させてくださる神を頼みとするに至った。」

無力を認めるに至った道のり→生きる望みさえ失い、死ぬことを覚悟した。

無力を認める→自分自身を頼みとしない。

神への信仰→神を頼みとするに至った。

④人様を慰められるようになる個人的体験とは?

それは自分の無力を認めるに至った経験であり、神様ならこの私を助けることができると信じる信仰です。
これは12ステップの1と2に当たります。
ということは12ステップの1と2をちゃんと踏んでいる人ならば、誰でも人様を慰めることができるということになります。

◎皆さんはいかがでしょうか?
「私なんてダメです」と言っておられないでしょうか?
ご自分が個人的に慰められた慰めをもって他者を慰める働きをしたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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