神任せにしないとはどういうことか?

12ステップグループで使われるスローガンの中に『手放して、あとは神におまかせ』というのがあります。
今日は皆さんとご一緒に、神様にお任せして良いものと、自分がしなければならないものについて考えます。

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①神は手本(てほん)を示してくださる

怒りの爆発という問題をもっているありのパパですが、この問題の解決の発端は心の中にもう一人の人が現れたことによります。

怒りが爆発しそうになったとき、『その方』があらわれ、ありのパパにこう言いました。
「いいかい?君は普通の人とは違うんだ。怒りの爆発という問題を持っている以上、普通の人のように怒ることは出来ない。このことを忘れてはいけないよ」と語ってくださいました。

②やり方がわかったら、今度は自分でやってみる

この現れは何回か続きました。
しかし途中で無くなりました。
あらわれが無くなったとき「神様、どうして現れてくださらないのですか?」とお伺いしました。
すると「怒りが爆発しそうになったときに、どんなふうに自分に言い聞かせればよいか、もうわかったでしょう?今度はこれを自分でやるのです。」
ありのパパは抵抗しました。「いやです。怒りが爆発しそうになるたびに私に現れてください」

しかしどのように対処すればよいか分かった後は『その方』があらわれることはありませんでした。
それで今では自分自身に向かって自分が「いいね。君は普通の人とは違うのだ。怒りの爆発という問題をもっているのだ。それを忘れてはいけない。怒りを爆発させないということを最優先課題にするのだ」と言い聞かせています。

③委ねることと甘えることの違い

神は私たちが自分で出来ることを私たちに代わってやってくださるということはありません。
初めの何回かは「こうやるんだよ」とお手本を見せてくださるかもしれません。
しかしそれも初めのうちだけです。
それを未来永劫(えいごう)ずっと同じようにしてくださると勘違いしている方が案外多いのではないでしょうか?

④神が働いておられないように見える原因

私たちは元々楽(らく)をしたい存在ではあります。
自分をだましてでも楽をしようとします。

しかし神はだませませんから、御業(みわざ)はストップしたように見えます。
しかし事実は御業がストップしたのではなく、私たちの働きがストップしているのに過ぎません。

〇『御霊(神の霊)も彼らとともに働かれた』(聖書)

⑤トライ&エラーを繰り返して神の意志に到達する

キリスト教会では神に御業を起こさせるために祈るということが行われます。
しかし神の御業はいっこうに現れません。
それはなぜでしょうか?
ありのパパの考えでは、神は今でも御業を現そうとしておられるのです。
しかし私たちの側で神の意志にそった行動を起こしていないので、神様の側でも御業の現しようがないというのが理由ではないでしょうか?

ではどのようにして神の意志を知ればよいのでしょうか。
もしここで「祈って御心を知ります」と仰るようならホープレスです。
なぜなら既に神はみこころを示しておられるからです。
そうであるにもかかわらず「祈ります」と言うのは、はじめから神の意志を実行する気がないからということが出来ます。
もし実行する気があるなら、トライ&エラーを繰り返しながら神の意志に到達するはずだからです。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    御早う御座います。

    「祈る」、「委ねる」、「行動する」、のバランスが大切なのかなぁ、と思いました。

    祈って、委ねても、行動しないのは、甘えや怠けのような気がしますし、

    祈っても、あまり委ねないで、行動するのは、自分が主で神様が従になってしまいがちのような気がします。

    祈らず委ねて(そんなこと出来るのか?)、行動するのは、なんでもかんでも神様のせいにして、自分の責任はどこへ…、になってしまいそうです。

    まぁ、「祈る」、「委ねる」、「行動する」、全てにおいてバッチリな人なんていないのでしょうけど、そこを目指していきたいと思いました。

    以前のブログ記事の中で、「生活それ自体が祈りになれば良いのです。」と書かれていたありのパパさんのとても感銘を受けた言葉を思い出しました。

    だいたい、「祈って」→「神様に委ねて」→「とりあえず、やってみる」、駄目ならまた別の方法や仕方で繰り返す(トライアンドエラー)、ていう感じなのでしょうか?

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをくださり、ありがとうございます。

      そうですね。それで良いと思います。
      ただ気を付けないといけないのは、[祈り・委ねる・行動]を我力でやってはならないということです。

      無力を認めている人が「うまくやるためには三つのバランスが必要なのだな」と言うでしょうか?(笑)
      考えの背後に自分の無力を認めていない心の有り様が反映されていないか、お互いは今一度みずからの心の内を確認したいものです。

      もともと私たちは無力なのですから、祈りも出来ないし、委ねることも出来ないし、行動も出来ない存在です。
      ここが出発点になります。

      そのような私たちが神様なら私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになり、このお方に自分の意志と生き方を委ねる決心をしました。
      ステップ3で委ねた私たちの意志はステップ11で神の意志として私たちのところに戻ってきます。

      ステップの11に「自分なりに理解した神との意識的な交わりを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」とあるとおりです。

      祈ることと委ねることを我力でやってしまうと、そこから出てくる行動は神の意志に沿ったものではあり得ません。
      そのような行動をいくら繰り返しても神の意志に到達することがないのはもちろんのことです。
      『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』というのと『トライ&エラーを繰り返す』というのは全く違うことです。

      またコメントしてください。お待ちしています。

      • マッキー より:

        ありのパパさんへ

        あちゃー(泣)、まさに私のことです。

        「下手な鉄砲、数打てば当たる」
        「祈る、委ねる、行動する」を我力で、やりがち…。

        「出発点」からよく逸脱しがちです。気づけて良かったです。

        御指導、有難うございます。

        • ありのパパ より:

          こんばんは、マッキーさん。
          コメントをありがとうございます。

          どうしてそれが分かるのか?
          それは私がそうだからです(爆笑)。
          共にこの道を歩ませていただきたいものです。

          またコメントしてください。お待ちしています。