自力か?他力か?12ステップは答える。「無力である」と。

仏教について議論されるときに「自力か、他力か?」というものがあります。
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えます。

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1.自力(じりき)か、他力(たりき)か?

①自力とは何か?

一般的に仏教でいう自力(じりき)とは禅を組むなどして悟りの境地に達することを言います。

②他力とは何か?

他力とは、禅を組むなどの修業を通してではなく「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えることによって一瞬にして救いに到達することを指しています。

2.無力とは何か?

①12ステップは無力であると言う。

12ステップでは「無力を認める」ことが第一ステップとなります。
アル中はアルコールに対して無力であることを認めます。
薬中は薬物に対して無力であることを認めます
癇癪持ちは怒りの爆発に対して無力であることを認めます。

仏教でいう自力・他力と12ステップでいう無力とはどのような関係にあるのでしょうか?

②信じる者と信じる対象の関係

12ステップが教える『無力』はステップの2の『自分を超えた大きな力』とセットになっています。
どういうことかというと問題を解決できない原因は自分の無力さにあることを認めるなら、当然のこととして解決策は無力である自分を超えた力ということになります。
そのゆえに自分が無力であると思っていない人は、ステップの2に進むことはできません。
進むことができないとは自分を超えた大きな力を信じることができないということです。

12ステップに取り組んでいる人で「自分は神を信じることに抵抗を感じる」と言われることがあります。
しかし、これは宗教に関する問題ではありません。
なぜなら12ステップは霊的なプログラムであり、宗教的なプログラムではないからです
ハイヤーパワーを信じることができない本当の理由は、自分の無力を認めていないところにあります。

これはクリスチャンにとっても同じことが言えます。
信じているというのですが、どう見ても信じているように見えない場合があるのは、罪に対する自分の無力を認めていないことが真の理由ではないでしょうか?

3.自力か、他力か、それとも無力か?

一番の問題点は、自力か他力かを考えているときは自分の無力は考慮の対象になっていないということです。
もっと厳しい言い方をすれば、無力である自分のことは棚に上げておいて、どうでもいい「救われ方」について議論しているのです。
手術をしてもらう患者にとってやるべきことはただ一つです。
それは黙って手術台に乗ることです。
それをしないで、医者の手術の仕方を患者である自分が議論しているのです。
このおかしさに気づかなければなりません。

4.自力でも他力でもない

①出発点は無力を認めるところからスタートする。

正しくスタートをきれるかどうかが、すべてを決します。
無力を認めることができたら、当然のこととして無力な自分を越えた大きな力への信仰が生じます。
信仰が生まれたら、今度はその神に自分の人生を委ねてみようと決心するようになります。
このようにして12ステップは勢いをもってやっていくようにできていますし、またそうするときに大きな効果を発揮します。

②自分なりに理解した神とは?

自分なりに理解した神というとき二つの意味があります。
ひとつは現時点において自分が信じることが可能な神ということです。
もうひとつは自分よりも大きな力をもっているということです。

➂神概念も進歩・発達する必要がある。

ハイヤーパワーとの関係が深まっていくにつれて、神概念も成長していく必要があります。
初めの頃は依存症から回復することだけを願っていました。
それで神概念も単なる「回復をさせてくれる神」というものでした。
それがだんだんと変化し、自分のためだけに生きるのではなく、神と人々のために有用な存在となるような生き方を志(こころざ)すようになります。
それにともなって神概念も単なる「回復の神」から、「私を愛し、私を導いてくださり、力を与えてくださる神」へと変化するようになります。

5.どんなハイヤー・パワーを信じようとも、その人の自由。

12ステップミーティングに参加する私たちは、各々(おのおの)が信じる神について問題にしないし、議論もしません。
ただ一つ気を付けないといけないのは無力を認めているかどうかだけです。
どんな神を信じているように見せかけていても、自分の無力を認めていないなら、それは無意味です。

◎平安と祝福を祈っています。