神の意志を今日一日だけ実行する

神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。

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①神の意志を生きるとは?

ステップの3で私たちは「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心」をしました。
これは具体的には何を意味しているのでしょうか?
それは今までは自分の思い通りに生きようとしてきました。
しかし思い通りに生きていくことが出来なくなったばかりか、にっちもさっちも行かなくなってしまいました。
その故に、これからは自分の願ったようにではなく、神が願うように(神の意志)生きていくということです。

これを初めて聞いたとき、分かったような分からないような何とも不思議な気持ちになりました。

しかし12ステップの理解と実践が少しずつ進むにつれて「神の意志を教えて下さい。そしてそれを今日一日だけ実践する力を与えて下さい」と祈っている自分がいました。

②神の意志を実践するのに性格上の欠点は障害になる

利己心、不正直、恐れ、配慮の欠如という短所は私たちが神の意志を生きようとするときの邪魔になります。
そのために短所を神に取り除いていただくことが必要です。

明らかな神の意志は「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛する」ことです。
しかし、これを実行しようとするとき、恐れと不正直があると実行不可能です。

なぜなら愛の行動はいつも受け入れられるとは限らず拒絶されるときもあります。
その時私たちは傷つきます。
この傷つくことを恐れていると一歩も前に進むことが出来ません。

恐れがコントロール可能になっていると(恐れがなくなることはありません)一度拒絶されても「次の手を行ってみよう!」となり、へこたれることはありません。

➂なぜ短所があるといけないのか?

不正直があると、相手の懐に飛び込んでいくことが出来ません。
なぜなら「何であなたはこのようなことをしたのか?」と相手に聞くのは骨が折れる作業です。
それよりは「あの人はそういう人だから」と勝手に決めつけておく方が楽です。
しかし、このような生き方をしていると人間関係は壊れてしまうでしょう。
それがいやなら「えいやっ!」と相手の懐に飛び込んでいくことです。

配慮の不足も、利己心も同様です。
自分が配慮して欲しいのであれば、そのようにご自分が隣人に配慮することです。

④利他的生き方とは?

利己的生き方は愛の生き方である利他的生き方と正反対の生き方です。
神の意志を実践するということは本質的には利他的な生き方をなすということです。
その利他的生き方を日常生活の具体的場面で「この状況で、どのように振る舞えば利他的と言えるのか?」と考えつつ実行していきます。

◎これはやりがいのある人生です。
このような生き方を実践していると、知らず知らずのうちに心の中から空虚感がなくなり、一日が終わる頃には心が満足感に満ちあふれるようになります。
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. くま より:

    >不正直があると、相手の懐に飛び込んでいくことが出来ません。
    >なぜなら「何であなたはこのようなことをしたのか?」と相手に聞くのは骨が折れる作業です。
    >それよりは「あの人はそういう人だから」と勝手に決めつけておく方が楽です。
    >しかし、このような生き方をしていると人間関係は壊れてしまうでしょう。
    >それがいやなら「えいやっ!」と相手の懐に飛び込んでいくことです

    昨日教会で、また私一人でみんなでするような奉仕をし始めましたが、
    これはよくないと思って、思い切って助けを求めました。
    数人が快く手伝ってくれました。ハレルヤ!
    「えいやっ!」って勇気を出して、よかったです。自己憐憫や人を裁く思いから守られました。
    自分の中にある不正直に気づき、取り除くことができました。
    短所について、わかりやすく説明してくださり、ありがとうございました。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、くまさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。日ごとに短所を使わないで生きる決心をします。
      そしてあの方なら、この状況でどのように振る舞うかを考え、それに倣(なら)おうとします。

      祝福を祈っています。
      またコメントしてください。お待ちしています。