謙虚さって何?どう振る舞えば謙虚ってことになるの?

(ドロップ ザ ロック「はじめに」p96)

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1.謙虚さとは何か?

私たち日本人が謙虚とは何かを考えるとき、それはほとんど卑屈と同じようなものを想像するのではないでしょうか?
だからこそ自信満々の態度を示すと、人々はそれに対して嫌悪感を覚え「少しは謙遜な態度を示してはどうか」と文句を言うのです。

では真の謙遜とはどのようなものでしょうか?
まず卑屈とは似ても似つかないものであるとだけは言うことが出来るでしょう。
卑屈とは広辞苑によると〔気力がなくて品性の卑しいこと。いじけていていくじがないこと〕とあります。
では謙遜はどうかというと〔控えめな態度で振る舞うこと。へりくだること〕とあります。

ありのパパの考える謙遜とは以下のようなものです。
すなわち、自分には知らないことが多くあるということを知っており、そこから出てくる心の態度です。

私たちの人生に起こる将来の出来事を私たちは完全には予測できません。
それは天変地異のこともあるでしょうし、今は良いと思ってやっいることが実はとんでもなく的(まと)はずれであり、ある意味では悪いことだったということもあるかもしれません。

このように私たちが今現在持っている知識や理解力は限りがあるものであり、将来に「これは間違っていた。これは考えが足りなかった」と思う時がやって来るかもしれないということです。

このような理解の仕方がお腹の中にストンと落ちている人は絶対に傲慢にならないのではないでしょうか。

2.卑屈とは何か?

これに対して卑屈は「自分にも自分自身にも自信を持てない。確信を持てない」という心の状態です。
すなわち自分自身を見放している状態、自分を諦(あきら)めている状態です。
これが良い訳がありません。

正しい心の有り様は「これから先、何があるか分からないが私は決して私自身を見捨てないし諦めない」というものです。
それをはじめから見放していてはお話になりません。

3.12ステップが教える謙虚とは何か?

「ドロップ ザ ロック」の9頁に「神の意志を知り、それに従いたいという気持ちこそ『あらゆる謙虚さの基礎』」であると述べられています。
ステップの3で「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした」私たちは、ステップの11で「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」るようになりました。

これは何を教えているかというと、ステップの3と11はセットであるということです。
すなわち3で自分の意志を手放し、11で手離した自分の意志が神の意志として戻ってくるのです。
そして自分の意志に固執していたときには私たちは無力でしたが、神の意志が与えられるときには同時にそれを実践する力をも添えて与えられます。
ですから私たちは自分の意志を手放し、神の意志を実践しようとしているときだけ神の力に満たされることが出来るのです。

◎12ステップが教える謙虚さとは、自分以外のものの意志、すなわち神の意志を知り、実践したいと願う心のありようのようです。
平安と祝福を祈っています。

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