見捨てられ不安のスイッチを入れないための三つの方法

病的な見捨てられ不安と言えば、ACの13ないし14の特徴にあげられるものの一つです。
この「見捨てられ不安」があると、様々な不都合が生じます。

もっとも程度の差はあっても「見捨てられ不安」はどなたにもあります。
もし全く見捨てられ不安がないということですと、それが立派な一つの病気ということになります(笑)。

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1.あなたの見捨てられ不安は病的か?

問題はその程度が病的かどうかにあります。
病的かどうかの判定は以下を参考にしてください。

・病的な見捨てられ不安のゆえに社会生活に不都合をきたしている。

・友人などにも指摘されることがある。

・自分でもおかしいと思うときがある。

ありのパパの場合ですと、過剰な責任感の裏に病的な見捨てられ不安がありました。
以前は過剰な責任感が当たり前であり、普通の責任感を持っている人を無責任であるとして心の中で裁いていました。

気づかせられたことは、病的な見捨てられ不安が過剰な責任感を連れてくるということです。
病的な見捨てられ不安のスイッチが入らなければ、過剰な責任感に引きづり回されることもありません。

今でも完全には病的な見捨てられ不安から抜けきってはいません。
これはACに特徴的な精神面での強迫観念の一つです。

「一生治ることはない。死ぬまでこのまま。しかし回復は可能。だから回復に専心しよう!」ということになります。

いつも目を覚まして病的な見捨てられ不安にスイッチが入らないように気を付けることは、神の恵みによって可能です。

2.スイッチを入れないための三つの方法

①短所を神に取り除いてもらうこと。

どうして精神面での強迫観念のスイッチが押されてしまうのでしょうか?
それは私たちの短所が人々との間にトラブルを起こし、そのトラブルによるストレスが、スイッチを押す圧力になっているのです。

ですからどうしてもステップの4で自分自身の棚卸しを恐れずに徹底してやることが必要です。
そしてステップの5で「もう一人の人」に棚卸し表を見てもらうことにより、自分の短所を見つけ出すことが生命的に重要です。

そしてステップの6で、自分の性格上の欠点を二度と使わないと決心します。
その決心が完全に整ったら、ステップの7に進みます。
ステップの7では、自分の尊敬する「あの方」だったら、この場面でどのように振る舞うだろうかと思い巡らしつつ、自分の短所と正反対の特質を用いながら一日を生きていきます。
(恐れの反対語は勇気であり、不正直の反対語は誠実と正直であり、利己的の反対語は利他的です。)

このようにして生きていくと、ある時ふっと自分の中から短所が取り除かれているのに気づくときがやってきます。
これが「神に自分の短所を取り除いてもらう」ということです。

②親替えをする

病的な見捨てられ不安はどこからやって来るかと言えば、それは養育者から見捨てられるかもしれないという幼児期の体験から来ます。

しかし問題の核心はそこにはありません。
問題の核心は、今は自分が自分自身の親になっていなければならないにもかかわらず、依然として養育者に理不尽な親の役を、あなたがやらせていることにあります。

あなたの心の中から理不尽な親の役を止めようとしない養育者に出ていってもらい、あなたがあなた自身の親になるのです。
これが親替えです。

➂親替えの具体的やり方

毎日の祈りと黙想の時間に、次のことを自分自身に言い聞かせます。

「神(ハイヤーパワー)は私を決してお見捨てにならない。だ・か・ら私も私自身を決して見捨てないし、決して諦めない」

今日一日だけ、このことに集中して生きていきます。
このようにして一日単位で自分自身との関係を形作っていきます。
そうすると肉体上の養育者が、ただのどこかのおばちゃん・おじちゃんになっているのを気づく時がやってきます。

◎こうなるまでやり抜いてください。
平安と祝福はあなたのものです。
あなたには心安らかに生きていく権利が神から与えられています。
どうぞ、この約束があなたの人生に実現されますようにと願っています。

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