したいことをしないのがステップ6、したくないことをするのがステップ7

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1.したいことをしない

ステップの6では、自分の使いなれた手である性格上の欠点・短所を手放す決心をします。
問題は単なる決心だけではダメだということです。
日常の生活の中で今までなら古い手を使ったであろう場面に遭遇した時に、利己心・不正直・恐れ&身勝手・配慮の不足などの古い手を使わないと自覚的・意識的に決心することが肝要です。

(恐れ&身勝手とあるのは、恐れというのは未来について未だ起きていないことに対して感じる感情です。そして身勝手というのは恐れのゆえに良く確かめもせず自分勝手に決めつけることを言います。このように恐れと身勝手はセットになっています。)

2.したくないことする

ステップの7では、手放す決心をしたのと反対の特質を持つ生き方をする決心をします。

具体的に言いますと、今まで人間関係において恐れを重要なファクターにしていた人であるなら、これからは決して恐れを使わず、恐れに代えて勇気を活用すると決心することです。

同様に、今まで利己的な生き方をすることが自分の短所になっている人であるなら、利他的な生き方を今日から始めると決心し実行します。

不正直さが自分の性格上の欠点であるなら、正直さと誠実さをもって生きると決心し実行します。

配慮の不足が自分の短所である人は、できる限り他の人々を配慮することを実践します。

ありのパパの例で言えば、人間関係においてトラブルが起きたとき、今までなら「きっとあの人はこういう気持ちでこれこれのことを行ったに違いない」と恐れのゆえに身勝手に決めつけていました。
そちらのほうが楽だからです。
自作自演であり、一人芝居というわけです。

しかし新しい特質を生きると決心した現在では、トラブルが起きるとその人の懐(ふところ)に飛び込んで行って「なぜこのようなことをしたのか?」を納得できるまでお伺いします。
このような生き方は骨の折れることですし、ある意味では面倒くさい生き方ではあります。
しかしこのような生き方をするようになって気づくことは、この生き方はストレスのたまらない生き方、恨みをため込まない生き方であるということです。

3.ありのパパの個人的体験

「あなたの短所を取り除かれても慌てない準備はできているか?」との御声を祈りと黙想をしているときに聞きました。
続いて「準備ができているなら、なぜ『取り除いてください』と謙虚に神にお願いするステップの7に進まないのか?」との御声を聞きました。

そこで神様に「準備はできております。どうぞ私の性格上の欠点・短所を取り除いてくださるようお願いします」と祈りました。

御声を聞いたときは、その意味するところが正確には分かりませんでした。
しかし今は御声の指し示すことが何であるかをある程度知ることが出来ました。

4.この問題を聖化論の視点で見る

ステップの6と7は実践的聖化論とも言うことができます。

人知れず心の中でこのようなことを思っている方はおられないでしょうか?

「キリスト教に入信したものの、全然変わらないなぁ。変わらなくても救われているとは言うものの、それだったら死ぬ直前に信じても良かった。」

このような方にこそ、ステップの6と7をやっていただきたいと願っています。
この地上に生きている間に、私たちは変わることができるし、問題解決は可能だからです。

◎やりたいことをやらず、やりたくないことをやってみる。
このような生き方こそが、私たちを実質的に新しく生まれ変わらせる秘訣であるようです。
平安と祝福を祈っています。

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