イエスのような生き方を実践する秘訣はありのままを受け入れること

(ルカ22章24節~30節)

スポンサーリンク

1.人を導く秘訣は一旦受容すること

イエスの十字架の苦難がもうすぐであるというのにも関わらず、お弟子たちはのんびりと『自分たちの中で誰が偉いか競争』に血道(ちみち)を上げていました。
このような時、私であれば「お前たち、いい加減にしろよ。俺の我慢にも限界があるからな!」と怒りの雄叫(おたけ)びをあげていたでしょう。

イエス様は当然のことながら、そのような対応をされませんでした。
しかし「仕方ないよね。まだ何にもわかんないだもんね」という諦(あきら)めでもありせんでした。
ではどのような対応かというと、それは『機会を生かして用いる』という対応でした。
機会を生かして用いる対応とは、何でもないことを切っ掛けにして真理を教える機会とするということです。

イエスのこのところでの教えを見て驚くのは、「誰が一番偉いか」と議論したお弟子たちを否定しておられないことです。
これを受容すると言います。
まず「君たち、誰が一番偉いかで争っているんだね」と一旦受容し、そこから本題に入ります。
ここで注意しないといけないのは、イエスがお弟子たちを受容したのは方便ではなかったということです。
真理をお教えになるために、受容しているように見せかけているのでもありません。
そうではなく本当に受容しておられるのです。

「そんなことして善いんですか?」とまじめな方ならお問いになるかもしれません。
答えは「受容するのに良いも悪いもありません」ということになります。
とにかく一旦本当に受容するのです。

2.他人を受け入れるのが難しい理由

今日、何と多くの方々が見せかけの受容をしておられることでしょうか?
母は子供に「いつまででも学校に行かなくても良いのよ。お母さん、いつまででも待ってるから」と言いつつ、心では『お母さん、本当に困っちゃう。お母さんにも予定があるのよ。』とブツクサ言っていないでしょうか?

上司は部下に「君のありのままでいいんだよ。それが君のすばらしいところなんだから、そこを伸ばしていけば良いんだ」と言いつつ、心の中では『あんまり面倒を掛けるなよ。安い給料でこき使われた上に、君というお荷物まで背負い込まされて私は本当に難儀(なんぎ)しているんだ』と泣き言を言っていないでしょうか?

一旦受容してから、真理に導くというやり方が最善の方法であり、実際にはこれ以外の方法ではうまくいきません。
多くのクリスチャンは心の中で『なぜイエス様のような心を打つ生き方が自分には出来ないのだろうか?』と残念に思われています。
そのできない原因の一つが人様をありのままに受け入れていないということです。
人様をありのままに受け入れることが出来ない理由は、自分自身をありのままに受け入れていないからです。
自分自身をありのままに受け入れている分だけ、人様をありのままに受け入れることが出来ます。

これをしない限り、たとえクリスチャンと言っても、世の中の人と同じような「良いと悪い」「合格と不合格」という二元的な価値観の中で生きることになりますから、イエスのような生き方は不可能なことになります。

しかし聖書が命じる生き方は「キリスト・イエスの心を心とし、キリストの歩みたまいしごとくに歩め」というものです。
この生き方を実践するためにはどうしても自分自身と人様をありのままに受け入れていく必要があります。

◎イエスのような生き方を実践する秘訣、それは自分自身をありのままに受け入れ、隣人をありのままに受け入れていくことのようです。
平安と祝福を祈っています。

スポンサーリンク