行き過ぎた責任感の裏には病んだ見捨てられ不安がある。

ACの特徴を集めた「洗濯物リスト」と呼ばれるものがあります。
その中に、行き過ぎた責任感と、病的な見捨てられ不安というのがあります。
今日は皆さんと御一緒にこの問題を考えてみます。

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①行き過ぎた責任感とは何か?

行きすぎた責任感とは言葉を代えて言うと病的な責任感ということになります。
この特徴は我々日本人には一般的に見られる傾向ではあります。
ただACの場合は、この特徴が病的と言わなければならないほどに大きいということです。

健全な「責任感が強い」というのと、病的な責任感の違いはどこにあるのでしょうか?
現れを見ているだけでは違いはわかりません。
違いは動機にあります。
健康の人々は健康な責任感、すなわち物事へ達成感だったり、使命感が責任感の動機となっています。

それに対してACの責任感の動機は見捨てられ不安です。
動機は目で見ることが出来ませんが、感じることはできます。
健康な責任感から出てくる言葉や行動は相手に安心感をもたらします。
しかし見捨てられ不安が動機となっている責任感から来る言葉や行動は相手を不安・不快にさせます。

皆さんは誰かと話していて「この人、くどいな」とお感じになることはないでしょうか?
健全な責任感から説明してくれている場合は「ありがとう」という気持ちが湧いてきます。
しかし、その方が「見捨てられたくない」という動機でお話になっている場合は、こちら側は「必要以上に説明しすぎている」と感じるものです。

②病的見捨てられ不安とは何か?

これは関係が切れることを恐れる気持ちです。
誰だって、この気持ちは持っています。
ただ問題は、それが病的かどうかということです。

たとえば恋人や夫に度々(たびたび)泣かされており、何度も別れ話が出ている人がいるとします。
この人は、それにも関わらず、いざ本当に別れる段になると「私にも悪いところがあった。もう一度やりなおしてみる」などと寝言を言います。

この人にとっては「関係が切れる」ことは耐えられないほど恐ろしいことであり、関係が切れないためには何だって犠牲にしてしまうのです。
これが女性が男に騙(だま)されてしまう最も多い理由ではないでしょうか。

➂この二つはどのように繋(つな)がっているか?

病的な見捨てられ不安が動機となって行き過ぎた責任感が発動している場合は、行きすぎた責任感だけをどうにかしようとしても失敗に終わるでしょう。

洗濯物リストに載っている症状を軽減しようとするとき、各々の関連性を考慮に入れることが大切です。
今日皆さんと御一緒に考えている、行き過ぎた責任感と病的な見捨てられ不安などは典型的なセットになっている特徴ということができます。
このような場合は必ずセットで面倒を見ることが肝心(かんじん)です。

この場合の行き過ぎた責任感は現れでしかありません。
作物にたとえるなら、それは実です。
病的見捨てられ不安は作物で言えば根っこに当たります。
根っこの方から何とかしようとするのが、正しい対処の仕方です。

④どうやって症状の軽減を図るか?

病的見捨てられ不安の原因は親に安心感をもって育てられなかったことです。
これの解決法は親替えです。
自分が自分自身の親になる。
また神(ハイヤーパワー)に自分の真の親になっていただきます。

⑤親替えすると、どのように変化するか?

今までは関係が切れるような場面に遭遇すると、「自分自身」がブルブル震えてコントロール不可能になり暴走していました。
それが親替えをしてからは、自分が自分自身に向かって「大丈夫。あなたはこの難局を乗り切ることが必ず出来る」と励ますのです。
また「たとえ人はあなたを見捨てるようなことがあったとしても、神はあなたを決して見放すことをなさらない」ことを再確認します。
このようにして以前とは違った行動をとることが出来るようになります。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    御早うございます。いつも朝早いですね。5時半のバスに乗っていつも最新の記事を読ませて頂いております。

    「神はあなたを決して見放すことはなさらない」ことを再確認します。←その通りですね。私も時折、猛烈なマイナス思考に陥ってしまうことがあるのですが、ここに立ち返って何とか踏みとどまります。
    「神様が私を諦めないでくださるのだから、私も私を諦めない」このように思うようになりました。

    「神はあなたを決して見放すことはなさらない」、あることをきっかけに、この事が実感できたのは、もう10年以上前です。
    当時の私はドヤ街に住む アル中の日雇い労働者でした。
    その後、幾つか資格や免許を取ってドヤ街を卒業してアパートを借りて、結婚して子供も与えられました。

    神様のなさることは不思議ですね。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      心を打つ体験談をありがとうございます。

      親替えをするというとき、神に自分の親になっていただくということと、自分が自分自身の親になるという二つのことをどのように説明すれば良いかをずっと考えてきました。
      今朝のマッキーさんのコメントを読ませていただいて、その答えを見つけました。
      そうです。「神様が私を諦めないでくださるのだから、私もまた私(自身)を諦めない」と考えるなら、神に親になってもらうことと自分が自分の親になることは一体のことであるのは明白ですね。
      ありがとうございました。

      またマッキーさんを通して神が働いてくださった尊い導きにも感謝をいたします。

      またコメントしてください。お待ちしています。