恨みを手放す

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①恨みの実相(じっそう)

一般的に言って、恨みには正当な根拠がありません。
ただ私たちの側で根拠なく一方的に恨んでいるだけの場合が多いのです。
それどころか、原因を探っていくと自分に落ち度がある場合さえあります。
要するに『自分に落ち度があるにも関わらず、一方的に相手を恨んでいる』というのが真実であるようです。
(幼児期の虐待はそうではありません。相手に一方的な責任があります。DVやレイプ被害についても同様です。)

②なぜ恨みを手放さなければならないのでしょうか?

クリスチャンですと「なぜも何も、そうしなければならないのに決まっているからだ!」と仰るかもしれません。
しかしそのように言ってしまう前に、一旦立ち止まって「なぜなのか?」と考えてみることは大切なことです。

➂手放さなければならない恨みとはどんな種類の恨みか?

たとえば広島の方がアメリカに原爆を落とされたことを恨むのは正当な恨みです。
また韓国の方が日本に植民地化されたことを恨むのも正当なことです。
このような類いの恨みを手放せと言っているのではありません。

ではどんな類いの恨みかと言うと、それは自分でも気づいていない(抑圧している)恨みを手放す必要があるということです。

私たちは普段は建前で生きているので(少なくともありのパパは)「私は恨みなんか持ってません!」みたいな顔をして生きているし、自分でも恨みを持っているなど思ってもいないのです。

抑圧が強い人ならば、恨みの感情をちょっとでも感じそうになると、ほぼ自動的に「感情抑圧システム」が働き、感じないようになっているものです。

④なぜ手放さなければならないのか?

それはあなたの人生を台無しにするからです。
なぜ台無しにするかと言えば、恨みが私たちの心にあると、私たちの心の奥底に住んでおられる神との交流が遮断(しゃだん)されるからです。

私たちの本能は原子炉のようなものであり、超強力です。
しかし、その分コントロールが難しく容易に暴走してしまいます。
私たちの今までの人生は、この原子炉を自分でコントロールしようとして、うまくいかないどころか失敗続きの人生だったわけです。
それで神に自分自身のコントロールを委ねることを決心したのです。

しかし恨みを手放していないなら、「私は神に自分の人生を委ねました」と言ったとしても何の意味もありません。

⑤神の助けによって自分でも気づいていない恨みを見つけ出す必要がある

これは具体的にはステップ4・5の棚卸しによります。
私たちは人に指摘されなければ「あぁ、そうだ」と気づくことが出来ないほどに薄(うす)らぼんやりとした存在であるようです。

そのような訳で、人に指摘されるのは注射されるようなチクッとした痛みはありますが、どうしてもこの痛みを我慢して乗り越えていく必要があります。
なぜなら、その向こう側には神に自分自身をコントロールしていただくという今まで経験したことのない世界が待ち受けているからです。

◎平安と祝福を祈っています。