共同体から得る助けと「霊的目覚め」の経験を得ることの大切さ

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1.欲求と狂気のちがいとは?

アル中が「飲みたい」と願うのは普通のことですが、飲んでもかまわないと考えるのは狂気です。
ここを混同すると話がややこしくなります。
たとえば怒り依存症のあのパパが怒りを爆発させたいという欲求は普通のことですが、怒りを爆発させても構わないと考えるなら、それは狂気です。
普通の人は怒るべきときに怒り、また適切に怒りの感情を表に出すことができます。
ありのパパは怒り始めるとすぐに『烈火(れっか)のごとく怒りだす』状態へと移行します。
それで自分の人生から怒ること自体を締め出しました。
このことによって心の平安を維持しているというわけです。

思い通りに生きていけなくなったことを認めるのが無力を認めることです。
無力を認めるなら、解決はあります。
解決は「自分を超えた大きな力」です。

〇あなたの信じておられる神はあなたより大きいですか?
それとも神をあなたの奴隷としてしまい、あなたより小さい存在に貶(おとし)めていませんか?
もう一度、お互いは良く考えてみたいものです。

2.問題が二つあるように解決策も二つある。

①一つは共同体。

同じことで苦しみ、12ステップという共通の解決方法を共有しています。
共同体の助けを受けることが出来ない環境にいるとき、どうするのか?
その時の対処の仕方を予め考えておくことが必要です。
なぜならスリップは支えが得られないときに起きるからです。

②もう一つが12ステップから得られる霊的目覚めの体験。

ビックブックには霊的目覚めの体験が次のように描写されています。

心理現象のような霊的変化(医師の意見)
深い魂の奥底にひびく体験 (38頁)
決定的な霊的体験 (41頁)

この体験をすると、感情の上がり下がりが少なくなると、依存症からの回復を目指す施設の職員の方は言っておられます。
またそれを回復と呼んでいるのだとも仰っていました。

3.12ステップを何年も学んでいながら、霊的目覚めを得ることが出来ない場合

①「霊的」と呼ばれるものに恐れを感じている。

キリスト教圏で霊的と言えば、それは霊性を意味します。
しかしキリスト教圏でない我が国では残念ながら霊と言えばお化けとか幽霊を意味してしまいます。
それでミーティングに長く通っているような人であっても真顔で「霊的目覚めとか怪しい」と言ってみたりします。
「怪しいのはお前じゃ!」とか心の中で突っ込みつつ、平静を装っているありのパパです(笑)。

②霊的体験と霊的目覚めを混同している。

AAで言うところの霊的目覚めとは、12ステップに取り組むことにより神と自分自身と社会との関係が正された状態を指しています。
少数の人々は霊的体験という瞬時的・転機的経験をします。
これはどちらが良いというものではありませんが、出来るなら12ステップに取り組む中で新しい関係性に目覚めていく体験をしていただきたいと、ありのパパは個人的には願っています。

ありのパパ自身は「宗教経験のデパート」と自分で呼ぶぐらいに、霊的体験というものをしています。
しかし霊的体験だけでは『光の中を歩む人生』を送るためには決定的に不足しています。
どうしても12ステップが教える全てを自分のものにする必要があるのです。
そういう訳で12ステップに取り組む中で霊的目覚めを体験することが最も良いことであると考えています。

➂自己憐憫に陥っている。

これは少々きつい言い方ですが、余りに貪欲(どんよく)なので自分が頂いている素晴らしいものに気づかない、あるいは気づかない振りをしているのかもしれません。
自分のことを「かわいそうな私」と憐れんで座り込んでいるなら、どんな進歩も回復もあり得ません。
すっくと立って「私は自分が獲得すべき目標に向かって走り続ける!」と宣言する勢いをもっていなければなりません。
そのような人生態度の持ち主は、解決と回復を必ず得ることが出来ます。

◎共同体に参加することによる助けを受けながら12ステップに取り組むなら、私たちは必ず霊的目覚めを体験することが出来ます。
平安と祝福を祈っています。