12ステップが教える埋め合わせを国家間の和解に適用する

埋め合わせに行った方が相手から思ったような反応がなく途方に暮れているようなときがあります。
どういうことかと言うと「こんなに謝ったのに許してくれなかった。プンプン!」という反応です。
ここには二つの間違いがあります。

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①一つ目の間違い

それは自分が謝ったら、相手は許すのが当然であるという間違った思い込みです。
個人としての埋め合わせに失敗するのは自分の問題を見ていないときです。
自分の依存症のために会社に迷惑を掛け、それを謝ったところ会社の方に「やっと分かったか」と言われ、憤慨しているとします。
このケースではこの方は本当は謝っていないのです。
なぜなら自分がどんなに迷惑をかけたかということを本当には認識していないからです。

自分が他人に同じような迷惑をかけられたら、どれだけ腹が立つかを慮(おもんぱか)ることさえ出来ればこのようなことは起きません。
ただ次のことは言えます。
相手を慮る心の態度は回復が進むに従って大きくなるということです。
ですから、この段階では「自分は本当のところを感じることが出来ないのだ」ということが分かりさえすれば良いのです。

②二つ目の間違い

それは、相手が赦してくれるまで謝らなければならないという間違った思い込みです。
この間違った思い込みは、相手が許してくれなければ埋め合わせは完成しないという新たな思い込みを生み出します。
なぜこの思い込みが間違いであるかと言うと、それは相手を変えようとしているからです。
それはとりもなおさず相手をコントロールしようとする私たちの古い生き方の現れなのです。

自分の罪悪感を取り除くために相手に謝ってはなりません。
それは相手を自分の道具として利用していることにほかなりません。

➂ここに我が国と中国・韓国との関係がうまくいかない原因がある

我が国で良心的な人々は「相手が赦してくれるまで謝り続けるべき」と言います。
しかしこれは間違っています。
なぜなら、それは謝ることによって彼らをコントロールしようとしているからです。
それで日本人は彼らが赦してくれないと不満の声をあげるようになります。

しかし相手の立場にたって考えるなら、そもそもそんなに簡単に人を赦せるものなのかという問題があります。
そうです。「無かったことには出来ない」のです。
この事実を受け入れる「落ち着き」を持たない限り、個人も、国家間も、真の和解に至るのは難しいのです。

④参考になるのはドイツの赦罪と埋め合わせの態度

それが典型的に示されているのがドイツ・ヴァイツゼッカー元大統領の演説です。
そこには、罪と責任は異なるものであること。
戦争の責任は特定の個人にあって、他の者にはないこと。
しかし、戦争の結果としての責任はドイツ人すべてが引き受けなければならないこと。
これらのことが明確に示されています。

ヴァイツゼッカー演説と村山談話を比べると、その違いに驚きます。
村山談話には「本当に悪かった。すまんかった」という後悔の念は伝わってきます。
しかし「じゃ、その後どうするのか?」ということは残念ながら伝わってきません。
一言で言えば「哲学がない」ということになります。

我が国の政治の伝統は無哲学です(笑)。
政局に翻弄され、ワイワイガヤガヤやっているうちに「戦いすんで日が暮れて」という感じです。
しかし、このようなあり方は国内政治には通用しても、諸外国には通用しません。
なぜなら諸外国の人々にも心があり、政治の哲学とは、その心を持った人々にどのように対応するべきかを教える道具だからです。
この道具を持たずに、諸外国との関係改善に努力しても、それは徒労に終わるばかりです。

⑤古い生き方が周りと衝突を招いている

問題は私たちの内側にあります。
それは神との関係が絶たれているということです。
自分の内側にいるハイヤーパワーとの関係を大切にしてくださいと言っているのが12ステップです。
何がハイヤーパワーと私たちを断絶させているのでしょうか?
それは恨み・恐れ・利己心・配慮の欠如などです。
ステップの4と5で神との関係を見直し、8と9で人々との関係を修復します。
どうしても神に取り除いていただくべき性格上の欠点を棚卸しによって見いださなければなりません。

〇この作業をやりとげた個人が多数派を占めるようになると国家の基本政策が変わらざるを得なくなってきます。

⑥埋め合わせは時間がかかる

私たちは「(時々)埋め合わせをする」のではありません。
そうではなく「埋め合わせ(そのもの)の人生を送る」のです。
いつでもどんな場合でも、埋め合わせが可能であれば、積極的に埋め合わせを行います。
これは生涯続く作業です。
言ってみれば、私たちの人生は埋め合わせしつつ生きる人生行路(こうろ)であると言うことができます。

⑦必ず埋め合わせが出来るとは限らないという事実は私たちを慎重にさせる

国家間の関係も同様です。
こちらの側では埋め合わせできたと思っても、あちら側がそれを受取ってくれるかどうかはまた別の問題です。
世の中には埋め合わせできないことも存在します。
いわゆる「取り返しの付かないこと」です。
私たちの国は70年前にこの取り返しの付かないことを為出(しで)かしてしまいました。
そうであるのに今ふたたび同じあやまちを犯そうとするのでしょうか?

◎12ステッププログラムから、個人の、そして国家の埋め合わせとはどのようなものかを学びたいものです。
平安と祝福を祈っています。

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