大酒飲みとアル中を分けるものとは何か?

(ステップ1)

皆さんは、大酒飲みとアル中のちがいは何であるかご存じでしょうか?
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えてみます。

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①依存症と非依存症のちがいは何か?

AAの哲学的基礎を築くのに大きな貢献をなした人にシルクワーク博士という方がおられます。
彼はアルコール依存症は道徳の問題ではなく、肉体と精神の両面にわたる病気であると見抜いた初めての人でした。

彼は「アル中はアルコールに対してアレルギーを持っている」と言いました。
これはアレルギーという言葉の一般的な使い方とは異なるように見えます。
しかしアレルギーの元々の意味は「他の人とは異なった反応を示すこと」です。

たとえば蕎麦(そば)アレルギーを持つ人が、蕎麦を食べたり、ソバ成分が含まれる食品を摂取すると重篤(じゅうとく)な反応が現れます。
時として死に至る場合もあります。
しかし蕎麦アレルギーを持たない人は、蕎麦をいくら食べてもこのような症状は現れません。

シルクワーク博士は、アル中にとってアルコールはソバアレルギーと同様な症状を引き起こすと言ったのです。

〇依存症と非依存症を分けるものは、このアレルギーがあるかどうかという点です。

②アレルギーが渇望現象を引き起こす

問題の原因がアレルギーであるなら、これを「意志が弱い 」のが原因であるとするのは全くの見当外れということになります。

この見当外れのために12ステップ登場以前のアルコール依存症の治療の結果ははかばかしいものではありませんでした。
しかし12ステップを治療方法として採用し始めると、すぐに効果を現しました。
これが何よりも的を外していないということの証拠であると言うことが出来ます。

・いったん飲み始めたら止まらなくなる。(アルコール依存症)
・怒り始めたら、怒りが爆発してしまう。(感情・情緒の障害)
・日常生活が強迫的行動に満ちている。(アダルトチルドレン)
・いったんポルノを見始めると止まらなくなる。(性的強迫症)
・薬中、買い物依存、共依存、摂食障害、 ギャンブル依存など原理はみな同じです。

アレルギーを治そうとする人はいません。
アレルギーを治そうとするのではなく、アレルギー物質が含まれる食品を摂取しないようにします。

同様に依存症者も依存症を治そうとするのではなく、依存物質(アレルギーを引き起こす物質)を体内に入れないことに留意するようになります。
このように肉体面での問題である渇望(かつぼう)現象をどう取り扱うかが決定すれば、次の問題は渇望現象を引き起こす精神的渇望すなわち強迫観念の問題へと移って行きます。

③治療に霊的プログラムを採用することの医療関係者の心理的抵抗感

「自分を超えた偉大な力」を活用するという12ステッププログラムは科学的であることを良しとする医療従事者にとっては当然のことながら抵抗があります。
しかしその効果は驚くべきものであり、認めざるを得ません。
現在、我が国の依存症治療を行う精神科病院の多くでAAなどの12ステップグループの紹介と実践が行われています。

これとは別の理由で教会関係者にも心理的抵抗感があります。
なぜなら今まで依存症は罪であり、その罪から救われるのは信仰によるというのが、教会の一致した見解であったからです。
しかし12ステッププログラムでは依存症は罪ではなく、病気であるとはっきりさせることが回復の第一歩であり、大前提となります。

ありのパパの所属していた教会にアルコール依存症者の方がおられました。
その方は教会に来始めてまもなく亡くなられました。
ありのパパはいつもその方の隣に座っていたのですが、何を話せば良いのか皆目(かいもく)見当(けんとう)がつきませんでした。
当時のありのパパと言えば、[神・罪・救い]の三段論法で人を無理やり信仰に導く方法しか知らなかったからです。
ありのパパが12ステップに殊更(ことさら)にこだわるのは、その時の経験が大きな理由の一つになっています。

④依存症には二つの特徴があります

精神面での問題である強迫観念だけを重視して、肉体的問題を無視することは出来ません。
肉体的問題とは渇望を引き起こす現象のことです。

二つの問題のうち、精神面での強迫観念だけを重視して、肉体面での渇望現象を軽視するなら、重大な結果を招きます。

何年も禁酒しているアル中の方が、再飲酒しはじめると正常な酒の飲み方が出来る場合があるそうです。
しかしそれは長続きせず、気が付いてみると再びアルコール依存の地獄にしっかりと嵌(は)まっているのです。
この正常に飲める期間は人によって異なります。
はじめから渇望現象がぶり返す人もおれば、何ヵ月かは正常な飲み方が出来る場合もあるようです。

◎依存症の回復には12ステップが大変有効です。
他の治療法によっては回復できなかった多くの人々が実際に回復しており、その人々は何年もたった現在も回復を維持しています。
平安と祝福を祈っています。