マスコミが真実を報道しないで一体誰が真実を報道するのか?追悼:後藤健二さん

ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム原理主義勢力のISIS(自称イスラム国)によって殺害されました。

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①後藤健二さんのこと

後藤さんはクリスチャンであられました。
存命中は後藤さんがクリスチャンであることが報道されるとイスラム原理主義勢力を刺激する危険があると考え、報道各社は報道を控えていたようですが、今はもうそんな必要はなくなりました。

今、後藤さんはイエスと共におり、イエスに「良くやった。善かつ忠なるわたしの僕(しもべ)」と労(ねぎら)っていただいていることを確信しています。

紛争や戦争で一番犠牲になるのは婦人と子供であり、この人たちの真実を何よりも伝えなければならないと世界各地の紛争の現場に乗り込み、その弱い立場の者たちが置かれたありのままを写真と文章を通して報道したのが後藤健二さんでした。

また池上彰さんなどの著名なジャーナリストが戦場を訪問した際にナビゲーター(水先案内人)としての役割をも果たされました。
池上さんは追悼のコメントの中で「ジャーナリストが真実を報道しないでいったい誰が真実を報道するのか?」と言われています。

②後藤さんに倣った朝日新聞記者

朝日新聞記者がこの動きの中で危険をも省みず現地に入って行きました。
参詣(さいけい)新聞と世身売り(よみうり)新聞は、これを批判的に伝えたとのことです。
それはそうでしょう。
自らは政府の太鼓(たいこも)持ちとして提灯(ちょうちん)記事ばかりを量産し、それが新聞社の役割であると錯覚しているのですから。

しかしマスゴミばかりの新聞社ばかりになってしまったら、我が国の将来は真っ暗闇ではないでしょうか?
いったい誰が、私たち国民に真実を伝えてくれるのでしょうか?
結局、マスゴミだらけのマスコミしかいない状態では、紛争はなかったことにされ、世の中はうまく回っていると虚偽(きょぎ)の情報を鵜呑(うの)みにさせられてしまうのではないでしょうか。

③戦前の我が国の新聞社の実情

戦前の時代に生きた人々のお話をお伺いすると、皆仰るのは「満州事変などが起きていることは知っていた。しかし国内は平和であり、ゆったりと時間が流れていた。国内が騒然となった段階ではもう如何(いかん)ともしがたく事態(じたい)の推移(すいい)を為(な)すすべなく見守るほかはなかった」と言います。

戦前、新聞社は他社との部数競争に勝つため、世論におもねり(ちょうど現在の参詣新聞や世身売り新聞のように)戦争拡大を煽(あお)る記事を量産したのでした。
こうして時代の「空気」は確定し、誰もがその空気に異議を唱えることが出来なくなりました。
この時代の権力を握っている人たちの正直な心情は「このまま行ったら大変なことになる。しかしそんなことにはならないだろう。多分なんとかなる」というものでした。
今の時代に生きる私たちであれば「いったい『多分大丈夫だろう』って、なんやねん!なんともならんわ!」と突っ込みを入れるところでしょう。

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④命懸けで真実を伝えるマスコミが我が国の生命線

国民が冷静で客観的な判断をなすことが可能なのは、命掛けで真実を伝えるマスコミの努力があってこそです。
もしすべての報道に携わる人々が国内でぬくぬくと安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)り、政府発表を鵜呑(うの)みにして、それを垂れ流すだけの機関に成り下がってしまったら、私たちは再び「見ざる・聞かず・言わざる」の三無い猿(さんないざる)になってしまいます。

◎命を掛けてでも真実を報道してこそ、市民にとっての「炭鉱のカナリア」の役目を果たすことが出来ます。
(炭鉱の入り口に置かれたカナリアが、炭鉱内に空気が正常に流れていないと真っ先に異変を示すことの例え)

◎残された後藤健二さんのご家族の上に神様のお慰めがありますようにとお祈りします。

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