性的依存症への対処の仕方

今日は読者からのご相談です。
皆様ならどのようにお答えになるか考えつつお読みいただければ幸いです。

(ここからご相談)

初めまして、こんにちは。
よく読ませていただいてます。
さっそくなのですが相談させてください。

私はクリスチャンです。
そして、重度のポルノ中毒です。

周りに相談できる相手がいません。
一人で何とかなるとも思えません。
霊的な祈りもいっぱい教えられましたが、良くなりません。
むしろ酷くなってるように思います。
勝手なお願いですが、どのようにしていけば良いかアドバイスをお願いします。

(ご相談はここまで)

こんにちは、ジョンさん。
ご相談をくださり、ありがとうございます。
ご相談の文面からは詳しいことが分かりませんが、ありのパパの考える処方箋を提示させていただきます。

スポンサーリンク

①「重度のポルノ中毒」と言われるが、実際はどの程度か?

これが一番最初の問題となります。
性的依存症と言っても色々ありますし、程度も様々です。
たとえば電車内での痴漢であれば、これは紛れもない犯罪です。

ではポルノはどうでしょうか?
キリスト教的見解から言えば、もちろんそれは罪です。
しかし依存症(=中毒)かどうかと言えば、判断は留保されます。

依存症は病気であり、罪ではありません。
しかし病気であることを認めるなら、同時に回復していく責任が発生します。
(罪という理解に立てば、悔い改めと赦しへと進んでいきます。)
クリスチャンが「~中毒」という言葉を使うとき、罪という概念と病気という概念を混ぜて使っている場合があるので、気を付けることが必要です。

自分が持っている自由意志を行使して犯すのが罪ですが、依存症は病気であり、そうなりたくてなったわけではありません。

ジョンさんの「ポルノ中毒」はどの程度でしょうか?
一つの分水嶺になるのは、それによって著しく生活に影響を与えてしまい、正常な社会生活が営めない状態になっていることです。
もちろん依存症には否認というやっかいな問題がありますので、誰が見ても依存症なのに本人だけが「いや、俺は依存症じゃない。酒が好きなだけだ」と言っている場合もあります。

②自分が本当に性的強迫症もしくは性依存症であるかどうかの見極め方

問題は二つあります。
一つは精神面での強迫観念であり、もう一つは肉体面での渇望現象です。

強迫観念とは、ポルノを見てはならないと理解しているにもかかわらず、いざそのときになると見てしまうメカニズムを指しています。
これは狂気とも呼ばれています。
しかし、これは依存症でない人々にもある程度存在するものです。
たとえば糖尿病であるにもかかわらず、どうしても食べすぎてしまい、病状を悪化させてしまう人が全体の三分の一程度いらっしゃるそうです。

問題は渇望現象です。
渇望現象とは(アルコールにおいては)一杯目を飲むと二杯目を飲まないではおれないことです。
健全にお酒を飲める人々には、この渇望現象は存在しません。

アル中の人々は「普通の人々が途中で酒を飲むのを止めるのを見て『あれは意志の力を使っているのだ』と思っていた。まさか酒を飲むのに飽きて『もう十分』となっているとは知らなかった。私にはこの『もう十分』という感覚がない。いったん飲み始めたら、酒に飲み込まれるまで飲み続けるほかはないのがアル中なのです」と言われます。

このことからはっきり言えるのは、渇望現象があるならその人は間違いなく依存症であるということです。
ご自分の生活を振り返ってみて、渇望現象があるかないかを確認することは大切なことです。

ジョンさんはネットを見ていて、たまたまポルノ画像があるサイトを開いてしまったとき「ウップス!」と言って、他のサイトへと移っていくことが出来ますか?
それがいつでも普通にできるなら、あなたは性依存症ではないでしょう。
しかし、いったん見はじめてしまうと見るのを止めることが出来ず何時間でも見てしまうなら、性依存症である可能性が強いと言えます。

判定はどうぞご自分でなさってください。

③自分が性依存症であると認識できたら、どうするか?

依存症における問題の本質は私たちが無力であるということです。
ですから、私たちがこの問題に対して無力であるのを認めることがとても大切です。

問題の本質が自分が無力であることならば、解決は『力』であるということになります。
その力とは「自分を超えた大きな力」であり「自分なりに理解した神」ということになります。

問題が二つあるように(強迫観念と渇望現象)、解決策も二つあります。

それは共同体による助けと、12ステップを通して得られる霊的目覚めです。
同じ問題を持っている人々の自助グループに参加することによって解決策を受け取ることが出来ます。

もしご自分が性依存症もしくは性的強迫症であると思われるなら、ためらわず自助グループに参加なさることをお勧めいたします。

④性的問題を持っている人々の自助グループを尋ねてみる

現在のところ日本では性的問題を取り扱う12ステップグループが二つあります。
一つはSAと言い、もう一つはSCAと言います。
それぞれのホームページからミーティング会場の情報を得ることが出来ます。
お近くにミーティング会場がない場合は、東京などの大都市圏で行われている会場に足を運ばれるのが良いでしょう。
必ず来て良かったとお感じになると思います。
またそこで12ステップの書籍を購入することが可能な場合もあります。

◎ジョンさんが性的依存の問題を通して「この問題で私が苦しんだことは良いことだった。なぜなら私はそれで神様のおきてをより一層深く学ぶことが出来たから」と言うことが出来る日が必ず来ることを信じています。
平安と祝福を祈っています。

スポンサーリンク

コメント

  1. しん より:

    ありのパパさん、こんにちは。
    いつもブログ更新ありがとうございます。

    自分もポルノと性的な問題を抱えていました。
    しかしながら否認していましたが、自分には渇望現象があります。
    特にアルコールを飲めば性的な問題は余計にエスカレートします。
    罪と依存症は別物なのですね。
    なぜ教会に行ってるのに礼拝も出ているのに聖書も読んでいるのになんども罪を繰り返すのだろうとずっと悩み、罪悪感もあり教会に出席できなくなったり女性と目を合わせたり話せなくなりました。
    依存症は病気ならば回復に向けて勇気を持ってSAなどに出席したいと思います。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、しんさん。
      コメントをありがとうございます。
      皆さんのコメントを読ませていただくことが、ブログ更新のエネルギーになっております。
      本当にありがとうございます。

      そうですね。罪と病気をしっかりと分けることは、ことにクリスチャンにとっては生命的に大切なことですね。
      それで余計な水をさすようですが、依存症かどうかの判定は慎重になさりますように。
      一般的な基準とクリスチャンの基準は異なります。
      罪の問題ならば聖書の基準に従う必要がありますが、病気の問題ならば依存症における診断基準に従う必要があります。
      (厳密に言うと「性的依存症」はまだ病気と認められていません。日本の精神科医の中にも「そんなものは病気じゃない」という人もおります。ただアメリカでは、もうすぐしたら病気として認められるのではないかと言われています。)

      なぜ、こんなことを申し上げるかと言いますと、エネルギーを最も必要な部分の解決に向けることが出来なくなってしまうからです。
      たとえばACと感情の問題が最も核心的な問題であるにもかかわらず、それに加えて性的問題を含めてしまうなら、エネルギーが分散されてしまいます。
      6回出席なさってみて、続けて出席するかどうかをお決めになるのが良いと思います。

      またコメントしてください。お待ちしています。