AC的傾向があるのと、依存症の温床としてのACはちがうことか?

今日は皆さんと御一緒に純然たるACと単にAC的傾向があるというのは違うことかどうかを考えてみます。

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1.親に傷を与えられた人はみなACか?

完璧な親は一人としていませんから、養育の過程でどうしても子供に傷を与えてしまうものです。
ですから親に傷を与えられたのがACであると定義するとすべての人がACということになってしまいます。
しかし実際はそうではなく、たとえ大きな傷を親に与えられたとしても、そのことを赦し、親と和解して前向きに生きていかれる方も多くおられます。

アル中などの方で12ステップを学んでいる途上で親に対して恨み・つらみをぶち負ける方がおられます。
しかしそのような方も12ステップの学びを修了され、回復が軌道に乗ってくると親への恨みが口に出てこなくなる場合があります。

これなどはAC的傾向はあるものの純然たるACではないという典型的なケースと言えます。
これらの人々は自分の責任で依存症になったにもかかわらず、その責任から逃れたくて親にその責任をおっ被せているに過ぎません。
しかし回復が軌道に乗り自立した生活が可能になると誰かに責任を転嫁する必要がなくなるので親への非難が止むというわけです。

2.純然たるACとは?

純然たるACには今まで述べてきたような特徴は見られないのが一般的です。
ACが親への非難を意識的にのべることは稀ですし「自分が悪い。自分が悪い」と責め続けるのが一般的なACの特徴です。

①子供時代のサバイバル術を大人の今も無意識に使っている。

それは子供時代に自分が生き延びるために使っていたやり口を無意識のうちに大人になった今も使っている人々のことです。

②生活の中に強迫的行動パターンといえるものが明確にある。

ACを特徴付けるのが強迫的行動です。
強迫的行動とはそれが不合理だと思っていても切迫した気持ちに駆られ、その行動を何度でもしてしまうことを指しています。
あたかもアル中が酒を飲んだらダメだと分かっているにもかかわらず「今度は大丈夫かもしれない」と全く根拠のない行動を性懲りもなく繰り返してしまうのと同じです。

③クロスアディクションの傾向がある。

ACは依存症の温床と言われます。
それはミーティングでの自己紹介に現れます。
AAですと「私はアル中のビルです」NA「私は薬中のジョンです」GA「私はギャンブル依存のポールです」という感じで自己紹介の内容は一つです。
それに比べてACのミーティングでの自己紹介は異様です(笑)。
「私はACで感情障害で共依存のルーカスです」みたいな感じで複数のアディクションをもっておられる方が多くいます。

3.どうすれば良いのか?

それはACの特徴がご自分の生き辛さの最大の障害となっていると思えばACからの回復を目指すべきです。
そうではなく、たとえばアルコール依存が最大の問題であるならアルコール依存からの回復を目指すべきです。
考えてみれば当たり前のことですね(笑)。

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コメント

  1. ケイ より:

    ありのパパさん、こんばんは。
    ご無沙汰しております。ACのケイです。

    近くにACのミーティングがないので、AAのミーティングに通っています。
    AAのミーティングに通っていて、ずっとこのままでいいのかと思っていました。

    >それはACの特徴がご自分の生き辛さの最大の障害となっていると思えばACからの回復を目指すべきです。

    お酒をやめることで生きやすくなった部分もありますが、私はACからの回復を目指したいとはっきり思いました。

    このままでいいのか、どういう方向がいいのか分からずに、迷い混乱していました。
    ありのパパさんの考え方を頂き、とても助かりました。
    ありがとうございます。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、ケイさん。
      コメントをありがとうございます。

      そうですね。私が通うACのミーティングにもAAに通いつつACのミーティングにもいらっしゃる方が複数おられます。
      ただその場合、気を付けたいことは依存症は治らない病気、すなわち一旦アルコール依存になったら、良くなったように見えてもAAに通うのを止めれば再飲酒は時間の問題であるということです。
      このことは私も感情の問題(怒りの爆発)について同様のことを体験しています。

      メーンをAAにおいて、サブをACからの回復に置いて前進されることが必要ではないかと思われます。
      「車の両輪」をイメージすると良いかもしれませんね。

      またコメントしてください。お待ちしています。