自分なりに理解した神とは?

12ステップではメンバーが自分なりに理解した神を信じるようにと勧めます。
しかしこれは福音派キリスト者にとっては「神とはキリストにほかならない」ということになります。
今日はこの問題を皆さんと御一緒に考えてみることにいたしましょう。

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1.伝道の業としてとらえる。

ありのパパが12ステップの勉強会に参加して改めて驚いたのが、多くの人々にとって神という概念は受け入れがたいものであるという事実です。
ありのパパなどはいとも簡単に「はい、それは神です」と答えてしまうのですが、多くの人々にとってはそうではありません。
そうであるならば、初めの一歩で躓かせるよりも「自分なりに理解した」神ということにしておいた方がよいと、ありのパパは考えます。

しかもこの神概念は回復が進むにつれて、より高次な神概念へと変化していくことが期待されているのです。
講師の方が「はじめは自分の願い事を実現してくれるのが『自分なりに理解した神』だったのが、回復が進むにつれて利己的ではなく利他的に生きるために神の意志を知り、神の意志を実行するための力だけを求めるようになる」と言われるのを聞いたとき、ありのパパは正直驚きました。
これはキリスト教と同等か、現実の教会の姿と照らし合わせるなら今の教会以上の教えであると唸(うな)ってしまいました。

2.「自分なりに理解した神」概念の出所

オックスフォード運動に参加することによってアルコール依存から回復したエビー・サッチャーは古くからの友人である同じアル中のビルのもとを訪れました。
そして霊的体験を得ることによってアル中から回復をすることを伝えました。
ビルは胡散臭く感じながらも、すっかり生まれ変わったのが誰にもはっきりとわかるほどであったエビーを見て反発を感じながらも否定することができなかったのでした。

しかしビルがどうしても受け入れがたかったのが神概念でした。
なぜならそれまでの経験で神や教会やキリスト教というものに対して修復しがたい反発を心に抱えていたため、キリスト教の神概念を受け入れることができなかったのです。
それでエビーと議論するなかでエビーが思わず口走った「『君が理解できる神』概念で構わない」という言葉が突破口となりました。
この瞬間が12ステッププログラムが霊的運動になった瞬間であると言われます。

◎そういう訳で、自分なりに理解した神概念で何の問題もないどころか、それでなければならないと考えるものです。
皆さんのご意見をお聞かせください。

コメント

  1. しん より:

    ありのパパさんいつもありがとうございます。
    はじめてACやEAのミーティングに出席した時に、「自分なりに理解した神」という言葉に、キリスト教会に通っていたことのある私は抵抗を感じました。

    「はじめは自分の願い事を実現してくれるのが『自分なりに理解した神』だったのが、回復が進むにつれて利己的ではなく利他的に生きるために神の意志を知り、神の意志を実行するための力だけを求めるようになる」

    この文章を読んで私も衝撃をうけました。
    思えば、私の神への信仰というのはご利益信仰からはじまっていましたし、教会へ通っていながらも私の心のゆえに福音から程遠かったからです。
    そしてその結果として現在教会へ通っていない私があるのだと思います。
    EAミーティングに出席しはじめたばかりの私は、まだ第1ステップの最中のように感じています。
    まだ12ステップのことがよくわかりませんので、ブログで書いていただいているのは本当に感謝です。
    またいつも深い気づきや希望、慰めを与えられております。
    本当にありがとうございます。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、しんさん。
      コメントをありがとうございます。

      依存症からの回復施設のスタッフは、12ステップの講義をするときに何番目のステップであっても1・2の復習をしてから、そのステップの学びをはじめていました。
      多いときは全時間の半分を1・2のステップの復習に当てていました。
      それぐらい無力を認めること、神様なら自分を回復させてくださると信じること、その神様に自分の意志と生き方を委ねる決心をすることの三つが大切なのですと仰っていました。
      キリスト者もそのような姿勢に学びたいものですね。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  2. マッキー より:

    ありのパパさん、こんにちは。

    1、「無力を認めること」→ 自分が生かされていること自体が神様からの罰。

    2、「神様なら自分を回復させて下さると信じること」→神様に捨てられたと思う。

    3、「神様に自分の意思と生き方を委ねる決心をすること」→神様から呪われ、忌み嫌われていると思う。

    時々、こんな風に感じてしまう私は、どの辺から回復に向かって取り組んだらよろしいでしょうか?
    「別の御言葉によって対抗しましょう」とか「神様の愛が分かるようになるまで祈りましょう」とか言われても、実際に感じている感情を無理矢理抑え込んでいるようでツラいことがあります。

    私のどこらへんがおかしいのでしょうか?

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      ご質問に対するお答えを明日(2015/02/03)火曜日の当ブログに掲載しますのでよろしければご覧ください

      またコメントしてください。お待ちしています。