回復の秘訣は「やりたいことをやらない。やりたくないことをやる」

ステップ6・7

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1.良いことをする前に、悪いことを止める。話はそれからだ。

依存症施設のスタッフの方からお伺いしたのですが、12ステップの学びが進んでくると受講者は希望に満ち始めます。
そして新しく生まれ変わった自分にふさわしい何事かをはじめようと計画します。
そして「こんな素晴らしいことを考えています」とスタッフの方に申し上げると、スタッフに「まずキセルするの止めようね」とか「まずタバコのポイ捨て止めようね」と言われるそうです。
そのように言われた方々は見ているのが気の毒なぐらいにショボーンとなります。

笑い話のような本当の話ですが、このお話には大切な真理が多く含まれています。
それは回復の秘訣は、やりたいこと・良いことを始める前に、今やっている良くないことを止めることだということです。
そうしない限り、その良いことは線香花火(せんこうはなび)に終わってしまうのではないでしょうか。

2.顕在意識と潜在意識と強迫観念

皆さんは強迫観念はどこにあるかご存じでしょうか?
もちろん私たちの心の中にあるのですが、では心の中のどの部分にあるのでしょうか。
そうです。強迫観念は潜在意識の中にあります。
これが私たちが良いことをしようと思っても出来ない理由であり、良くないことを止めようとしても止めることの出来ない原因なのです。

言ってみれば強迫観念は潛在意識を支配している裏番長みたいな存在です。
普段何もないときは「そうですね。お説ごもっとも」みたいな感じで平伏(ひれふ)してくれるのですが、いざ何かあるとそうはいかなくなります。
あたかも「裏番長のご出陣です」みたいな感じになります。

もしここまでの説明が全てであるとすると、私たちには勝利する術はありません。
全面敗北です。
しかし「捨てるサタンあれば、拾う神あり」です(笑)。

潜在意識の更にその下に「誰の心にも心の奥底に神の意志が存在する」のです。
この潛在意識のさらにその下に存在する神の意志と、私たちの表面意識である顕在意識をつなげることで、強迫観念ではなく神の意志が私たちを支配してくださるようになるのです。
これが12ステップの教えるところです。

3.どうしたら強迫観念ではなく神の意志が私たちを支配してくださるようになるのか?

①やりたいことをやらない(恐れ・不正直・利己主義)。

ありのパパの性格上の欠点は、恐れが動機となって不正直な行動をとり、その不正直な行動が原因で人々との間にトラブルが起き、そのトラブルが起きた人々を自分に非があるにもかかわらず一方的に恨むという行動パターンです。

別にそうしたいわけではありませんが、身に染みついた馴れ親しんだ行動パターンであるので、無意識のうちに嵌(は)まってしまうのです。

②解決の方法はただ一つです。

自分の性格上の欠点である行動パターンが何なのかをはっきりと捉えておくことが、性格上の欠点に嵌まらないで済む唯一の道です。
そのためには『恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作』ることです(ステップ4)。
そしてその棚卸し表を『神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認め』ることです(ステップ5)。

そうすることによってだけ、自分の性格上の欠点である行動パターンを明確化することが出来ます。
(私自身の性格上の欠点を明確に気が付くことが出来たとき、カウンセリングルームの窓から見えるありふれた景色が、神の慈愛に満ち、いとおしく感じたのを覚えています)

4.やりたくないことをやろう(勇気・正直・利他主義)。

①性格上の欠点を取り除くのは神と私たちとの協働作業。

性格上の欠点を神に取り除いていただくように謙虚にお願いした後は、私たちになすべきことはあるでしょうか。
あります。疑うことが出来ないほど明確に私たちのなすべき行いが存在します。

②性格上の欠点である行動パターンに足を取られないように気を付けて一日を過ごすこと。

ありのパパの例で言えば、恐れに支配されないように、不正直という馴れ親しんだ手を使わないように、利己的でなく利他的な生き方を志すということです。
また、恨みを手放し、自分自身を赦したように人々をも赦すことです。

③日々の棚卸しを日常生活の中で行うこと(ステップ10)

ステップの学びが終了したとき、スタッフの方から「日々の棚卸し表」なるものを手渡されました。
「これを常時携行し、感情の変化がある度に行動を一時停止し(ある時はトイレに駆け込んででも)、棚卸しをなさってください。さらに夜寝る前と朝起きたときに行う祈りと黙想の時間に、その表を開いて検討してみてください。これを三ヶ月続けると、表に書かなくても心の中で自動的に棚卸しが出来るようになります」とのことでした。

5.私たちの心の奥底にある恨み・恐れの正体とは?

①恨みの本質は誤った判断に基づいています。

どういうことかと言うと、大抵恨みは人や組織に向けられていますが、実は恨むようになった原因はその人の中にではなく、その人がした行為によります。
そして綿密に棚卸ししてみると、実は非がこちらにあったりすることが多いのです。
それを一方的によく考えてもしないで恨みがましく非難しているのです。
これが間違った判断にもとづいて人を恨んでいるということの意味です。

②恐れは誤った信念に基づく。

ありのパパの例で言えば、恐れは二種類ありました。
一つは父によって殴られたことによって刷り込まれた恐れです。
成人してからも人は理由なく突然危害を加えるのではないかという誤った信念を持ちました。

もう一つは母が父の暴力を見て見ぬふりをしたのはなぜかを聞くことを恐れました。
なぜか「聞いてはいけないのではないか?」と思ったのです。
これこそが人に対する不正直な態度の大元になるきっかけでした。

これは子供としては納得できる理解ですし、仕方がなかったのだと共感できます。
しかしこれを成人した大人がやっているとなると話は別です。
まさにこれは「誤った信念」以外の何ものでもありません。

③古い生き方を止めると、新しい生き方が身に付いてくる。

愛とは自他の福利に対する関心です。
寛容とは心が広く、許し受け入れることです。
忍耐とは人生のタイミングを受け入れることです。
(これは神のタイミングを受け入れるというのと同じ意味です)
勇気とは恐れに向き合うことを可能にする精神です。
知恵とは真実についての認識と理解です。
謙虚とは屈服でも卑屈でもなく単に被造物そのものである態度(ありのままということ)です。

◎古い生き方をしないことで新しい生き方が手に入り、またあたかも新しい生き方が身についたかのように振る舞うことで変化が起こり始めます。
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. ケイ より:

    ありのパパさん、こんばんは。
    ブログを夢中になって読ませていただいております。

    強迫観念を超えた神の意志を、こう捉えればいいのかと、何度も何度も納得しました。
    疑問に思ったのは、この強迫観念はどこから生まれるのでしょうか?

    >一つは父によって殴られたことによって刷り込まれた恐れです。
    成人してからも人は理由なく突然危害を加えるのではないかという誤った信念を持ちました。

    私は、他の方が父親のように殴らないし怖くないと思いました。
    他人に、無用心に心を許し、近づき過ぎてしまうことがあります。
    これも過去の経験から刷り込まれたものだと思いますが、ありのパパさんの様にうまく説明できません。
    父親によって刷り込まれた恐れが原因だとは思うのですが、反対の誤った信念を持っていると思います。
    他人の方が安全という誤った信念でしょうか?

    • ありのパパ より:

      こんにちは、ケイさん。
      コメントをありがとうございます。

      コメントのお返事を明後日(2015/02/04)水曜日の当ブログに掲載いたします。
      よろしければお読みください。

      またコメントしてください。お待ちしています。