人に働き掛けるのが恐い人の原因と究極的解決がここにあります

人に働き掛けるとは、一体どういうことを指しているのでしょうか?
それは仕事の業種で言えば、セールスや訪問販売などが該当します。
また人間関係で言えば知らない人に自分から話しかけることを指しています。
これらのことが苦手な人というのが少なからずおられるようです。
「おられるようです」などとシレッと書いていますが、誰あろうそれは私です(笑)。

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1.恐れの原因は何?

ありのパパも営業の仕事で人様に接するのが恐かったのですが「どうせやらなければならないのだから」と自分自身に言い聞かせてやっていました。
しかし無理をしてやっていたので仕事を退職した時「もう二度と自分から売りに行く仕事はしたくない」と本心からそう思ったことでした。

人に働き掛けるのが恐い理由は

①子供時代からの成功体験が希薄である。

機能不全でない家庭の親ならば、子供が小さい時から成功体験を積み重ねることが出来るようにします。
いわゆる「ほめて育てる」というやつです。
これによって人は心の中に困難に向かっていく勇気の源泉(げんせん)が出来上がっていきます。
しかしほめられて育てられないと、自分から向かっていく勇気の源泉がありませんから困難にチャレンジしようとしても脚がブルブル震えて前に進むことが出来ません。

〇もっともこの成功体験は大人になってからでも意識的・自覚的に積み重ねることが出来ます。
「私は子供の時の成功体験がないから」などと泣き言を行っている暇(ひま)があったら、自分でその一歩を踏み出すことです。

②全体が見えていない。

全体が見えていないとはどういう事かと言いますと、この仕事(プロジェクト)が成功(または失敗)したら、属している組織や自分の人生にどのような影響があるかが見えていないということです。
その影響の度合いがわかっていれば、成功しても傲慢になることはありませんし、たとえ失敗したとしても必要以上に気落ちすることがありません。
「これが失敗したら大変なことになる」という間違った思い込みが、不必要な恐れに苛(さいな)まれる原因です。

③自分の実力不足をもう一人の自分が知っている。

大風呂敷を広げ、表面意識の自分は自信満々なのですが、もう一人の自分である自分自身はよ~く自分の実力をわきまえており、そのため表面意識の自分に危険信号を送ってきているというケースです。
何か不安を感じるという場合はそれなりの理由があるものです。

④性格上の短所である恐れに支配されている。

ありのパパの場合で言えば、父親に突然殴られるという子供時代を過ごしたために「他の人も理由もなしに突然自分に危害を加えてくるかもしれない」という間違った思い込みを刷り込まれてしまい、これが性格上の短所である恐れになりました。
この性格上の短所を取り除いてくださいと謙虚に神に求めるステップを踏まない限り、私たちはこの類(たぐい)の恐れに支配されたままであるのです。

2.究極的解決とは?

①自分を動物だと思わず植物だと思う。

新約聖書・黙示録の22章1節~2節に次のように書かれています。
「神の御座からいのちの川が流れている。そのいのちの川の岸辺にはいのちの木が植わっている。そのいのちの木は12種の実を結び、一ヶ月ごとに実をならせた。そしてその木の葉は諸国の民を癒した。」

このいのちの木とは一体誰のことでしょうか?
そうです。このいのちの木とは神を信じることによって回復の人生を生きようとする人々を指しているのです。

②植物と動物の違いは何か?

それは動物が自分から相手に働き掛ける存在であるのに対して、植物はそのようなことをしない存在だということです。
植物は自分からは動きません。
しかし木の幹(みき)に聴診器を当てると、木の鼓動(こどう)が聞こえるように木は生きており、木の内部ではいのちの営みが活発になされているのです。

同様に私たちも、あっちに行ったりこっちに行ったりして徒労に終わりがちな営みを止め、木のようにどっしり構え、しかし内部では活発にいのちの営みをなすことに専心(せんしん)するのです。
そうするならば必ず人生において豊かな実がなるようになります。

お楽しみはその次です(笑)。
実がなるだけに終わらず、その葉っぱが諸国の民を回復させる働きをするというのです。
要するに自分はじっとしているにもかかわらず、人々が向うからやって来て木から葉っぱを取り、その葉っぱが人々を回復させるというのです。
このライフスタイルならば、自分から進んで人々に働き掛けるという苦手なことをしなくて済みます。

③宣伝によらないで惹(ひ)きつける魅力(みりょく)にもとづく。

12のステップには、12の伝統というものがあります。
その12の伝統の11番目には「私たちの広報活動は宣伝よりも惹きつける魅力にもとづく」とあります。
この原則は無名性の原則に深くかかわっています。

どういうことかと言うと、こちらから出て行って「こんなんですよ。あんなんですよ」と言うときは案外心の中で「どんなもんだい。こんなもんだい」と自慢に思う気持ちが潜んでいがちだというのです。
しかしそうではなく「惹きつける魅力にもとづく」とき、私たちは「名乗るほどの者ではございません」と謙遜に「『私が』ではなく『神が』私を回復させてくださった」と人々に申し上げるのです。

このような生き方こそ、自分から人々に働き掛けることに恐れを持つ人々に最適な生き方ではないでしょうか。

◎自分から働き掛けるのが苦手の人々を内向的な人々とも言います。
内向的な人は「こんな自分でなかったら良かったのに」と感じながら人生を生きているようです。
しかし今日のこの文章をお読みくださった方々が「内向的で良かった!私にもこんな素晴らしい生き方が備えられていた」と思ってくださることを願ってやみません。
平安と祝福を祈っています。