手離すのはこだわり やって来るのは心の静けさ

よく「手離す」という言葉を使います。
しかし案外、人々はどうしたら手離すことが出来るかも知らないし、手離すとはどういうことかも知らないのではないでしょうか?
そこで今日は皆さんとご一緒に、この問題を考えてみたいと思います。

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1.何を手離せば良いのか?

①手離す対象には2種類あります。

一つは自分の願い・計画などを手離すということです。
これは自分で自覚できるものを手離すという話です。

もう一つは自分でも自覚できない無意識の領域にあるものを手離すというものです。
今日はこの無意識の領域にあるものを手離すことを考えてみます。

②なぜ手離さなければならないのか?

なぜ手離すのかと言えば、手離さないと人生がにっちもさっちもいかなくなるからです。
人は人生がうまくいっている間は、それが何であれ手離そうとはしないものです。
人が何かを手離すのは仕方(しかた)なくであり、未練たらたらなのです。

③手離さないと、人生がやばくなるものは何か?

それには恨み・憎しみ・悲しみなどの感情があります。
人はいとも簡単に「もう忘れたから」とか「もう気にしなくて良いよ。何とも思ってないから」と言いますが、皆様ゆめゆめ信じてはなりませんぞ(笑)。
そのような言葉を真に受けると痛い目にあいます。
自分自身の中にある、そのような感情をどのようにして手離していけば良いのでしょうか。

2.どうしたら手離したことになるのか?

「私は手離しました」と言う方のお話を聞いていて「ちょっと待って。あなたは少しも手離してないし、それは手離したとは言わない」と感じることがあります。
皆さんはいかがですか?

①手離すための第一歩は自分が握っているのを気づくこと。

そのためにはきれいごとを言うのを止め、きれいごとの人生を生きるのを止めることです。
そして自分の心を良く観察してみることです。
次のa~cのフィルターを通して自分の感情を見てみます。
そうすると自分でも気づかなかった本心に気づくことができます。

a.私はあなたがそうなった原因ではない。

ACの典型的な考え方の中に「私がもっとしっかりしていれば親はこんなことにならなかった」というのがあります。
このような間違った思い込みを持ったまま大人になると、様々な社会的な不適応を示すことになります。
この他にも親が子供を見てイラッとするのは「子供がそうなってしまったのは自分に原因がある」という間違った思い込みがあるからです。
真実は親がどのような接し方をしようとも子供は将来に向かって進んでいるのであり、それに親が口出しすることは出来ないという面もあるのです。

〇心に引っかかっているものを一つ一つ挙げて、このフィルターを当ててみることです。
たとえば「あなたが私を虐待したのは私が原因ではない」と自分自身に言ってみて、自分の心の変化を見てみます。
大抵は「あぁ、そうか。自分が原因ではなかったのか」と憑(つ)き物が落ちたような気持ちになるものです。

b.私はあなたをコントロール(思い通りに)できない。

いつも遅刻する人にイライラしている人がいるとします(ありのパパのことですが、何か?(笑))。
そのような場合「私はあなたをコントロールすることは出来ない」と自分自身に言ってみるのです。
そうすると「あぁ、そうか。私はコントロールできないのか。そりゃ、そうだよな。人には自由意志があるのだ」と腑(ふ)に落ちることが出来ます。

c.私はあなたを治せない。

人は良く「あの人はこうすれば良いのにねぇ」などと簡単に言います。
しかし私たちが心の静けさを持って生きていくためには「私はあなたを治せない。自分のことさえ治せないのだから」と自分自身に言う必要があります。

3.手離したかどうか、自分で分かる?

①もちろん分かりません(笑)。

手離したと思っていても手離してないときもあります。
逆にまだまだだと思っていても、突然心の静けさがやって来るときもあります。
私たちは一喜一憂せず、毎朝握っているものを手離していく作業をコツコツとやっていく必要があります。

②思い込まないことです。思い込むと回復が止まります。

「私はもう手離したんだから!」なんて決して言わないことです。
私たちには実は握っているのかどうかさえ分からないのですから。
しかし「どうも握っていそうだな」ということで試(ため)しに手放してみるのです。
そうして手離してみると心が軽くなるし、人生も好転するので、どうやらこれは本物だということを実感するわけです。

◎手離すとは心を空っぽにすることです。
空っぽになった心を神はご自身の御心(意志)で満たしてくださり、神の意志を実行する力をも私たちに与えてくださいます。
平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. かっちん より:

    ありのぱぱさん、こんにちは。

    いつもブログ読ませて頂いています。

    質問なのですが、会社の同僚などで、あきらかにモラルのない人がいたとして、手離すとは、その人に対して指摘や注意しない方が良いという事ですか?

    自分も偉そうなことは言えませんが、不快感でいっぱいになってしまいます。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、かっちんさん。
      ご質問をいただき、ありがとうございます。

      そうですね、手放すとは指摘や注意をしないほうが善いということです。
      しかし、その前に手放すものがあります。
      それは「その人を自分の思ったように変えてやりたい」という支配欲求です。
      これがあると、どんなアドバイスも相手に受け入れられることはありません。
      なぜなら、かっちんさんの助言を受け入れるということは、かっちんさんの奴隷になることを意味することになってしまうからです(笑)。

      思春期の子供が親の言うことを聞かないのも同じ理由からです。

      『手放して、あとは神にお任せ』してしまうと、すがすがしいですよ。

      (業務遂行上、その人の立ち振る舞いが問題になる場合は、もちろん話は別です。ここで言っているのは、問題にする必要がないのに気になって仕方がないというようなケースです。よろしくお願いします。)

      またコメントしてください。お待ちしています。