「心の静けさ」という霊性

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1.心の時代と霊性の時代

二昔(ふたむかし)前に「心の時代」という言葉が流行りました。
そして一昔(ひとむかし)前に「『心の時代』から『霊性の時代』へ」という言葉が流行りました。
しかし丁度その境目(さかいめ)の時期にオーム真理教事件が起きたため、人々の心に「宗教は怖い」という感情が起こり、このブームは一気に収束(しゅうそく)してしまいました。

心の時代にカウンセリングが広まったように霊性の時代にはキリスト教が拡がるのではないかと、ありのパパなどは密かに期待したものでした。
「これでやっとキリスト教が日の目を見るかも。うしし」というわけです(笑)。

2.人々が求めているのは宗教ではなく霊性。

しかし今から考えてみると、この理解には欠陥がありました。
それは人々が求めたのは宗教ではなく霊性であったということです。
もちろん宗教が霊性の時代を担えるだけの力量を提供できた場合には、結果として霊性の時代は宗教の時代にもなり得ます。
しかし現代の宗教を見ると(キリスト教を含めて)霊性を提供できているようには見えません。
それどころか霊性が欠落しているように見えて仕方がないというのが本当のところです。
もちろんキリスト教をはじめとして霊性を強調するグループは存在します。
しかし僧服に身を包み、グレゴリオ聖歌のような賛美歌を歌っても、それで霊性を提供したことにはなりません。

3.霊性とは何か?

①霊性とは心の静けさをもって人生を歩むことです。

②継続的に回復・成長できていること。

③主観的に「回復した」というところに止まらないで、周囲が見ても「確かにあの人は(良い方に)変わった」と言っていただけるような客観的な変化がある。

④「回復したとは言うけれど、こんなもんなのかなぁ~」ではなく「確かに回復した。私はこれで人生の問題を解決することが出来た」という確かさを伴う。

⑤周囲の人々に対して押し付けや宗教の宣伝ではなく、惹(ひ)きつける魅力によって、解決の道を提示している。

4.霊性はどのようにして獲得できるのか?

①個人的に12ステップをやってみることによって。

12ステップを個人的にやらないでミーティングに参加しても「霊性を得る」という目的を達成することは出来ません。
もちろん心の傷のいやしや共感を得ることは出来るでしょう。
しかしそれは期限付きのいやしであり、いつかは元の木阿弥(もとのもくあみ)になってしまい、「私には合わなかった」とか「参加しても何も得るものはなかった」ということになってしまいがちです。

②12ステッププログラムをやっている団体のミーティングに参加することによって。

ではミーティングに参加する必要はないのかというと、決してそんなことはありません。
個人的に12ステップをやっている人にとって、ミーティング参加は必須のものです。
なぜならミーティングで、自分が語ったり人が話すのを聞くことによらないでは、12ステップをやり通すことは困難だからです。

ありのパパもはじめは自分だけで12ステップをやっていました。
ステップの1から3はそれでも良かったのですが、ステップの4の棚卸(たなおろし)の段階になって歯が立たなくなりました。
「これは無理。ミーティングに参加して、仲間の分かち合いを聞くことによって力を得なければ、これ以上は前に進むことは出来ない」と本心からそう感じました。

③12ステップの原則を自分の問題に適用することによって。

自分の抱える最大の問題がアルコールであったり、性の問題であったり、怒りの問題である場合、その問題が解決することが先決です。
話はその問題が解決したあとにしなければなりません。

しかし問題が解決したあと「感謝、感謝」と言って終わるわけにはいきません。
その後には無限の成長が待っています。
正直なことを言うと、私たち人間という存在は「問題・課題のデパート」であると言えないでしょうか。
ありのパパは自分を見て、心底そのように思います。
ですから一番大きな問題が片づいたら、その他の問題に取りかかろうではありませんか。
生きている間に、どのぐらい問題が片づくか楽しみでなりません。

◎この時代にあって私たちは「心の静けさ」という霊性をもって人生を生きていきたいものです。
平安と祝福を祈っています。