結論:心の静けさを持つと生きるのがラクになる

心の静けさを欲しいと思わない方々もおられると思います。
それはそもそも心の静けさがどんなものか知らないことが理由ではないでしょうか?
そこで今日は皆さんとご一緒に、心の静けさを持つとどんなメリットがあるのかを見ていきます。

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①御飯が進君(すすむくん)ならぬ仕事が進君になります。

かつては出来なかったことが出来るようになり、気が付くと日常の雑事(小さきこと)を含めて仕事がスイスイと片づいていきます。

②氷上競技のカーリングの重りであるストーンのように自分が日常という氷の上を滑っているように感じます。

自分がプレーヤーではなく、神がプレーヤーであり、その神の絶妙(ぜつみょう)な配剤(はいざい)に動かされるストーンであるように感じます。

③生活からストレスを感じなくなります。

かつてはストレスで一杯でした。
それが気が付いて見ると、生活の中からストレスらしいものが消えてなくなっていました。

④一日が終わる時、思い残すことが何もありません。

以前は一日の終わりになると無意識に「このままじゃ一日を終われない」と感じ、そのためしょうもないことに時間をつぶしたものでした。
それが今ではこの「やり残し感」が全くありません。
それで寝る時間になるとサッサと布団にもぐるようになりました。

⑤朝、目が覚めると、すっと起きれます。

前日に早く床に就いているというのもありますが、朝目が覚めると心と体が「準備OK!」と呼びかけているように感じるのです。
それですっくと起き上がり、人生で一番大切な祈りと黙想を行い、神の意志を知ることと、その意志を行う力だけを求めます。

⑥自分の限界を知り万能感から解放されます。

以前ですと、必要と思う時は無理できるものは無理をしてでもやっていました。
その結果、力尽きてしまい他の大切なことが出来なくなることがありました。
しかし現在では、やるべき必要があっても「果してこれをやった後に、自分のやる気や体力がどのくらい残っているか?」ということを自問自答するようになりました。
そして一日の中で最も大切にしなければならないと考えているものを最優先するようになりました。

⑦自分を大切にしている分だけ、人を大切に出来るのを感じます。

以前は電話をする時に心の中で「どうぞ良い人でありますように」と祈ってから電話していました(笑)。
それがある時に「自分が出会うすべての人に敬意をもって接する」ことを決心しました。
[人が自分にどのように接してくれるか]ではなく[自分が人にどう接するか]に全力を尽くすようにしてから、その間は心の中から恐れがなくなっているのに気づきました。

⑧自己一致しているのを感じます。

私の性格上の短所である恐れと不正直を取り除いてくださいと神に求めつつ、あたかも取り除かれたように振る舞います。
そのように努めるとき、自分の中から本音と建前の壁が取り払われ、自己一致しているのを感じます。

⑨一粒で三度おいしいならぬ一日が三日間おいしいです。

以前は大抵何をやっても残念感で一杯だったのです。
それが今では次のようになりました。

a.何かをやる時、段取りをできるだけ入念に立てます。
そしてあとは神様に祈り、お任せします。
[絶えず祈りなさい](聖書の言葉)

b.当日はジタバタせずどっしり構えて、喜びを味わい尽くします。
[いつも喜んでいなさい](聖書の言葉)

c.さらに翌日に振り返りを行い、感謝をします。
[すべてのことについて感謝しなさい](聖書の言葉)

このようにして何をするにしても、三度おいしい思いをするようになりました。
このようなわけで今は満足感で一杯になりました。
そりゃ、そうですよね。一日を三度味わっているのですから。

⑩もう一人の自分がいるようです。間違いそうになったり、人間関係で失敗しそうになると警告してくれます。

やはり今でも怒りん坊であり、瞬間沸騰器(しゅんかんふっとうき)であることに代わりはありません。

しかし心の中にもう一人の自分がおり、怒りが爆発しそうになるとスッとあらわれて「きみ、きみ、分かってるね。君は癇癪(かんしゃく)持ちという病気なんだから、自分を普通の人と思っちゃいけないよ。いいね、分かってるね」と警告を発してくれるのです。
そうするとありのパパは「あぁ、そうだった。私は普通の人と違う。癇癪持ちという病気だった」と我(われ)に返ることが出来るのです。
(それと不思議なことに最近ではその場にいる人の中で、誰が怒りが引き出されそうになっているのか分かるようになりました。)

◎心の静けさを頂いてから、自分のどんなところが変わったか思い当たるところを書いてみました。
余りたくさん書いても仕方ありませんので、ここら辺で止めます。
この文章を読んで「私も心の静けさが欲しくなった」と思っていただければ望外(ぼうがい)の幸(さいわ)いです。
平安と祝福を祈っています。

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