身も蓋もなく言うと神道原理主義は反キリスト

①聖書には「反キリスト」に警戒するように繰り返し書かれています。

この反キリストが何を指すのかについては議論が分かれています。
ある人たちは、この反キリストは特定の誰かを指していると理解します。
ローマ帝国のネロ皇帝が反キリストであるという主張から始まり、ヒットラーが反キリストであったという主張まであります。
この論の弱点はもしネロが反キリストであったなら、それ以降は歴史に反キリストは登場しないことになるということです。
しかしこの論を主張する人たちは、懲りずに次から次へと反キリストを特定いたします(笑)。

②これに対してもう一つの主張は、特定の思想をもって行動を行う人々や勢力を指しているという考えです。

これですとネロは自身を神格化し偶像礼拝を強要しましたので反キリストであるということになりますし、ヒットラーも聖書に忠実な信仰者たちを次々に投獄し、教会を政府の管理下に置きましたので反キリストということになります。
こちらの論の方が聖書が言う「反キリストに警戒せよ」という命令に忠実であるとありのパパは理解しています。

③ただ単にある特定の宗教の思想に基づいて政治を行うのと、原理主義との明確な違いは何でしょうか?

たとえばイスラム教の精神で政治を行うのと、イスラム教原理主義の違いは何でしょうか?
それは前者は聖職者は教会のメンバーである政治家に説教し、教会のメンバーである政治家はその説教の精神を政治に反映しようとします。
ということは聖職者と政治家は説教で繋がっていますが、厳密に言えば一体ではありません。
また特定の問題について聖職者の指示や命令があるわけではなく、政治家本人が自らの意思に基づいて政治的決定を行います。

それに対して後者は『イスラム教聖職者連合』みたいな名前の団体を立ち上げ、教会の聖職者が直接政治家の役割を担(にな)います。
それに加えて特徴的なのが神格化ということです。
聖職者が国家の統治機構を乗っ取るシステムそのものを神の名において絶対不可侵(ふかしん)のものであるとします。
これが単に宗教の精神によって政治を行うことと、宗教原理主義の違いです。

④では日本においての反キリストは何でしょうか?

ありのパパはそれは神道原理主義であると考えています。
神道原理主義とは一体なんでしょうか?
それは日本古来の神道精神に基づき祭政一致(さいせいいっち)の政治を行うことを目指す思想であり行動です。
発生は大変古く日本の歴史のごく初期に見ることができます。
本質は排他的民族主義と宗教的熱狂主義が結びついたものです。
彼らは仏教が我が国に伝来したときに仏教寺院を焼討したのをはじめ、様々な他宗教に対して敵愾心(てきがいしん)を燃やしてきました。

⑤なぜ神道原理主義は危険なのか?

もちろん危険でない宗教原理主義などは存在しません。
しかし格別に神道原理主義を警戒しなければならない理由は幾つかあります。

a.実体がはっきりしない。彼らは世俗主義の政党に紛(まぎ)れ込んでいます。
b.テロなどは行わないので、一見(いっけん)まともに見える。しかし権力を握った後は苛烈(かれつ)な弾圧が始まります。
c.彼らがまともな主張をしているように見えることがあっても、それは権力を握るための方便(ほうべん)に過ぎず、その実体が危険なことに代わりはないということです。

◎聖書の『反キリストに警戒しなさい』との教えに基づいて、我が国の反キリストである神道原理主義に十分な警戒と監視を払っていきたいと思います。

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