人生を生き延びるために絶対必要な健康な心とは強迫観念がない心

ときどき「なんとしてもやり抜いて見せます!」と言っている人がいます。
人の心は目に見えませんから、どのような心の状態からそのような言葉が出てくるのかは本当のところは分かりません。
しかし、もしその方が強迫的に「何としてもやり抜かなければならない」と考えているとしたら、心がとても苦しいのではないかと思います。

昔、東京オリンピックのときに活躍したマラソン選手がおられました。
彼は自衛隊所属であり、国民の期待、自衛隊からの期待を一身に背負っていました。
しかし、その期待を背負いきれなくなってしまい、自殺をされてしまいました。
本当に痛ましい事件でした。

強迫観念のない健康な心の持ち主は全力を尽くしますが、しかし心の中では「出来るときもあるし、出来ないときもある。それは時(とき)の運である」と考えます。
もちろんそれを口にするかどうかは別の問題です。
なぜなら強迫観念が異常に強い国民が多いですから、そんなことを言ったら大変なことになるからです(笑)。

強迫観念とは広辞苑によると「考えまいとしても絶えず心を占有して頭から離れない考え」とあります。
さて強迫観念にはどのようなものがあるでしょうか?

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①完全主義

これは何事も完璧にやらなければならないと強迫的に考えることです。
これには良い面もあります。
たとえば野球のフォームを完全なものになるまで練習し続けるとか、セリフを完全に喋れるようになるまで練習するとかです。
しかし完全主義を仕事全般・家庭全般・人生全般に適用すると大変ことになります。
なぜなら完全な人はこの世にだれもいないからです。
最後はみんなあなたから離れて行って、あなたはひとりぼっちになってしまうでしょう。

②人をコントロールする

案外このタイプの人は多くおられるように感じます。
大きく分けて三つあり、自分が劣った者・被害者のふりをして人をコントロールしようとする人。
理詰めで説得して人を自分の思いのままに動かそうとする人。
権威を振りかざして、または肉体的・精神的威圧を与えて人をコントロールしようとする人です。
問題はそのようなことをしている人(他人)ではなく、私たち自身が人にそのようなことをしていないかということです。
皆さんは如何(いかが)でしょうか?

③自己疑念・自己不信

「自分はダメな存在ではないか」「自分は劣った存在ではないか」このようなセルフイメージに苦しんでいるように見える人は余りおりません。
なぜならそのような思いを完全に抑圧しているので、そのような思いがあることさえ気づかないからです。
しかし何かにチャレンジしようとすると、訳もなく自信がなく脚が震えて前に進むことが出来ないということはないでしょうか?

④過剰な責任感を、愛や親切心と誤解している

たとえば電車の中で必ず席を譲るような人がいたとします。
そのこと自体は良いことですが、その行動が強迫観念から出ているかどうかが問題です。
強迫観念から出ていなければ「今日は自分自身が疲れているから、申し訳ないが席を譲らないでおこう」と自然に考えることが出来ます。
しかし考える間(ま)もなく体が反応しているなら、これは問題です。

⑤感情の抑圧(感情を感じることができない、感情を適切に現すことが出来ない)

「何にも感じない」とは感情を抑圧しているために、自分に感情があるのを気づけないということです。
しかし普段感情を抑圧している分、爆発したときには凄(すご)いことになります。
どんな感情が爆発しやすいかと言うと、それは怒りの感情が最も爆発しやすいのです。
なぜなら感情を抑圧している恨(うら)みが溜(た)まりに溜まって、恨みが怒りとして爆発するからです。

⑥哀れみと愛を取り違えている

典型的なのは「この人は私がいないとダメなの」と思っている女の人です(笑)。
これは裏側に見捨てられ不安が潜んでいます。

⑦否認

「だいじょうぶ?」と聞かれて「だいじょうじゃない」と答える人は余りいません。
なぜなら「良い朝ですね」と聞かれたら「そうですね。良い朝ですね」と答えるように社会的規範の圧力が掛かっているからです。
しかしこのような社会的儀礼にかかわることであれば問題はありませんが、これが人格の問題ですとそうは言えなくなってきます。
人は否認することによって「自分に問題は何もない」「うちの家庭に問題は何もない」というふりをして、自分の人生をやり過ごそうとします。
しかしそうは問屋(とんや)が卸(おろ)さないのです。

◎次回(来週になります)はどうしたら強迫観念から逃れることが出来るかに付いて考えてみたいと思います。
知っておきたい強迫観念から解放される方法

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