「だるい」「疲れた」そんな人のための祈りと黙想

人々の口から「疲れた~」とか「だりぃ~」とかの言葉が聞こえて来ることが良くあります。
人一倍真面目な方々は、これではダメだとばかりに頑張って頑張り抜いて、それで結局身動きがとれないほどに疲れてしまうということもあるようです。
このようになる原因は様々であり、一昔前のように「この原因はこれ一つだ!だからこうやって、こうすれば問題は解決だ!ワッハッハ」というようなことはあり得ません。
そこで今日はなるべく丁寧に「疲れた」と感じる理由は何なのか、またそれに対する解決策は何かについてご一緒に考えてみたいと思います。

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1.疲れには二種類あります。

a.一つは心地よい疲れです。

この疲れは何の問題もありません。
かえって疲れると幸せを感じるほどです。
たとえば恋人を喜ばせようとか、子供を喜ばせようとか、妻や夫を喜ばせようとかです。
だれですか、妻を喜ばせようとすると心地悪い疲れになるんですけど何て言っているのは(笑)。

b.もう一つはセルフコントロールを失わせるような類(たぐい)の疲れです。

セルフコントロールとは自制心ということです。
疲れていないときだと何でもないような一言に過剰反応して「何だと、もういっぺん言ってみろ!」などと怒鳴り声をあげてしまうような場合です。
ちなみにアダルトチルドレンのための12ステップミーティングで使われているパンフレットには「空腹のとき、怒っているとき、ひとりぼっちで寂しいとき、疲れているときは、ストップしよう」と書かれてあります。

今日問題にしようとしているのは、この自制心を失わせる類の疲れについてです。
これ以降は、自制心を失わせる類の疲れについて記します。

2.悪い疲れの原因は何でしょうか?

それは色々あるんじゃないの?というのが一般的な答えだと思います。
しかしここでは的を絞って、主に心理的な側面から考えてみたいと思います。

a.一番目の原因は心の奥底に抑圧された恐れにあります。

自分の人生の中で誰かに傷つけられた経験があり、それを意識化することをせず、忘れたつもり(忘れた振り)になっている場合があります。
このような場合、心の中で抑圧された恐れはあなた自身を振り回すことになります。
ことにそれが子供時代の体験である場合は一層現れが顕著(けんちょ)です。
訳が分からないのだけれど、何かにおびえているという方は案外多くおられるのではないでしょうか。
恐れを持ちながら生きている人は、悪い疲れに取り憑(つ)かれているようです。

b.二番目の原因は不正直にあります。

日本人に特徴的なのが、この不正直です。
不正直とは、自分の心のうちにある思いを言っても、どうせ分かってもらえないという諦(あきらめ)めです。
それで「あなたはどうしたい?」と聞かれても「みんなと同じでいい」と訳の分からない答えをしてしまいます。
しかし誰一人として本当に諦めきれる人はこの世の中におりません。
ではどうなるかというと、分かってくれない人や世間に対して怒りを持つようになります。
怒りを持ちながら生きていくことほど、疲れることはありません。
あたかも重い荷を背負って歩いている人のようです。

c.三番目の原因は利己主義と配慮の欠如です。

利己主義とは文字通り自分さえ良ければそれで良いという独りよがりの生き方を指します。
このような生き方が人々に受け入れられるはずもありませんから、人々と衝突するのは時間の問題です。
また利己主義ほど自分中心ではなくても、配慮の欠如も人々から反発を受けます。
配慮の欠如の理由は要するに子供っぽいということです。
そこまで考えが及ばないという未熟さが原因です。

心の向きを変えて(これをキリスト教では悔い改めと言います)「至らなくて申し訳ありません」ときっぱりとお詫びする生き方をはじめるまでは、人々と衝突するたびに心に恨みを蓄えていくことになります。
このような恨みを抱えていくことほど、人生を疲れさせるものはありません。

3.では悪い疲れに陥らないための秘策はあるでしょうか?

あります。疑いもなく明白に備えられてあります。
神が必要なものを備えていてくださいます。

a.恐れを取り除くためにはどうしたら良いか?

恐れには主に、①孤独になることへの恐れ、②傷つけられることへの恐れ、③病気になることへの恐れ、④人に働き掛けることへの恐れ、⑤人生が失敗することへの恐れがあります。
聖書にはその一つ一つの恐れに対して「もう恐れなくても良いんだよ」と恐れに対する処方箋が書かれてあります。
①ゼカリヤ書2:10
②Ⅰコリント3:16,17
③出エジプト記15:26
④黙示録22:1,2
⑤イザヤ書42:3

b.不正直さを取り除くためにはどうしたら良いか?

人が不正直であることの原因が恐れであることが多いです。
子供時代に親にありのままを受け入れられて育った子供であるなら、不正直は選択の問題です。
しかしどうせ言っても分かってもらえないと思いつつ子供時代を過ごした人にとっては、不正直な生き方は強制力を伴ったものです。
ではどのようにしてそこから逃れていけば良いかというと、人生のどこかで自分の性格上の短所が不正直であることを明確に知って、それを神に取り除いてくれるようにお願いすることです。
これ以外にはこの問題から解放される術はありません。

c.小出(こだ)しではなく、短所全部を取り除いてくださいとお願いする。

中には「だれでも短所はあるのだから、そう目くじら立てることもない」と仰る方もおられるかもしれません。
もしあなたがご自分の人生に何の問題もないなら、それで構いません。
しかしあなたが自分の人生には何とかしなければならない問題があると薄々(うすうす)感じておられるようなら、神に取り扱っていただくことです。
それこそが、祈りと黙想の目的であるのです。
祝福と平安を祈っています。

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