ホップ、ステップ、祈りと黙想

12ステップミーティングに参加しておられる方から「ありのパパさんはどんな時に祈りと黙想をしているのですか?」というご質問をいただきました。
それで今日はそのご質問の範囲を拡げて、12ステップにおける祈りと黙想について文章を書かせていただきます。

一番目のステップで私たちは自分の無力を認めます(ホップ)。
三番目のステップでは自分の意思と生き方を、自分なりに理解した神の配慮に委ねることを決心します(ステップ)。
そして11番目のステップで祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めました(ジャンプ)。

1.人生のトラブルの真の原因は自分が無力であること。

たとえば人間関係のトラブルという問題があれば、それの真の原因は人間関係をコントロールする能力の欠如ということになります。
それで人は本を読んだり、人の話を聴いたりして、何とかして人間関係の能力を向上させようとします。
またある人は人間関係がうまくいかない理由を自分以外の誰かの所為(せい)にします。

問題によっては解決できるものもあります。
そのような場合はそれで事なきを得ます。
しかしどれだけ努力しても如何(いかん)ともしがたい難題というものもあるのではないでしょうか?
キリスト教の人生観は[長い人生の間には、自分の力では乗り越えることが出来ない壁がある]というものです。

このような壁にぶち当たって生きることがどうしようもなくなった人々が、まず最初にすることが自分の無力を認めるということです。
これは自分自身が無力であることが、自分の抱えている問題の真の原因であるのを認めるということです。

2.自分の問題の真の原因が自分自身の無力にあることが分かったら、次の問題は「では自分以外のどんな力が、自分の問題を解決してくれるのか?」という答えを見つけることです。

二番目のステップで、私たちは自分を超えた大きな力が、私たちの抱えている問題を解決してくれると信じるようになります。
問題の真の原因が自分自身の無力にあるなら、当然のこととして解決の鍵は自分を超えた「大きな力」にあります。

3.ステップの1が原因の明確化であり、ステップの2が解決策であるとするなら、ステップ3以降はその解決策の処方箋(しょほうせん)です。

a.自分が無力であることを認めたら、当然のこととして自分の意思と生き方を自分を超えた大きな力に委ねるようになります。

これは例えて言うなら、自分がガンであることを知り、このお医者さんなら自分を治すことが出来ると信じる患者さんは、自ら進んで手術台の上に乗るということです。
もし手術台の上に乗らないとしたら、その人は心のどこかで「自分はガンではなく、ただの風邪かもしれない」と考えているのかもしれません。
(ステップの1の無力を認めていない)
またお医者さんに対する不信感がある場合も、手術台の上に乗ることを躊躇(ちゅうちょ)するでしょう。
(ステップの2の自分を超えた大きな力を信じていない)

b.委ねるとは手離すことです。

ありのパパの自分でも気づいていない本心は「委ねたつもりはあっても、手離したつもりはない」というものでした。
神様に「自分の意思と生き方」という名前のプレゼントをお渡しします。
神様が「ありがとう。じゃ、もらうね」と言っておられるのに、プレゼントをつかんでいる自分の手をいつまで経っても離そうとしません。

もちろん、これでは本当に委ねたということにはなりません。
真に委ねたと言うには、神にプレゼントをお渡ししたら、プレゼントを握っている自分の手を離さなければなりません。
これを手離すと言います。

c.手離すとは空っぽになることです。

人は空っぽになることを恐れます。
貯金がなくなることも怖いですし、友人を失うことも恐ろしいですが、一番怖いのは自分自身の内側が空っぽになることです。
しかし空っぽになると良いことがあります。

4.祈りと黙想を通して神の意志が私たちの空っぽになった心を満たすようになります。

神は私たちの心を空っぽのままで放(ほ)っておかれません。
あたかも水が水路を満たすように、いのちの水の川にいのちの水が流れるように、私たちの心を一杯に満たすようになります。
私たちはいのちの水の川の岸辺に植わった木のように、豊かな実を結び、その木の葉は人々を癒す働きをします。[黙示録22:1,2]

5.もし私たちが神の意志を知ることが出来ていないなら、自分を点検してみる必要があります。

a.私たちは自分の意思と生き方を手離しているでしょうか?

もちろんありのパパのように「委ねたつもりはあるけど、手離したつもりはない」と仰るなら、それこそいつまで経っても神の意志があなたに示されることはないでしょう。

b.自分の意思と生き方を手離されたあなたは「自分はなすべきことをした。あとは神様任せだ」と思っておられないでしょうか?

そうではありません。心が空っぽになったら、心を満たしていただくために祈りと黙想を通して神との意識的な触れ合い(人格的な交わりと言うことです)を深める必要があります。

c.祈りと黙想は、時間をかけて継続的・定期的に行うべきものです。

「何回かやったけどダメだった」「忙しいから、そんなに時間をとれない」と仰るかもしれません。
しかしご自分が得ようとしているものが、どんなに高価なものであるかを知れば、自分の生活の全時間をこのために投入することも厭(いと)わないでしょう。

◎自分の無力を認め、自分の意思と生き方を神に委ね、祈りと黙想を通じて神の意志を知ることと実践する力を求める。
では、ご一緒にホップ、ステップ、ジャンプ!(笑)

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