これだけ知ってれば誘惑に惑わされない三つの秘訣(その1)

今年からリビングバイブルを使って聖書通読をすることにしました。
リビングバイブルの最新版である第四版は現在、新約聖書のみ発行されており、旧約聖書は今年秋ごろを目指して準備中とのことです。
iphoneなどで読めるアプリ版のリビングバイブルもあります。価格は2300円です。
なお、アプリ版のリビングバイブルは第三版です。そのためありのパパは新約聖書は書籍版で、旧約聖書はアプリ版で読むことにしました。
皆さんもご一緒に、今年からリビングバイブルでの聖書通読を始めてみませんか?

今日はマタイの福音書4章を見ていきたいと思います。
ここにはイエスがサタンの誘惑を受けられたことが記されています。
一つ目は「石をパンに変えてみろ」という誘惑。
二つ目は「高いところから飛び下りてみろ」という誘惑。
三つ目は「世界中の富をやるから、俺(サタン)を拝め!」という誘惑です。
単純に読んでしまうと「何のこっちゃ!こんなんで誘惑に負けるわけないやろ」と思ってしまいますが、ところがどっこい三つの誘惑の中に私たちも引っかかりやすい罠(わな)が含まれているのです。
それでは順番に見ていきましょう。

Ⅰ.「石をパンに変えてみろ」という誘惑

①この誘惑の本質を食欲の誘惑であるという人がおります(笑)。

もちろんこの誘惑には食欲もかかわっていますが、本質的なものではありません。
答えはイエスがサタンへの返答として引用された旧約聖書の申命記三章八節にあります。

「主は、あなたがたが飢えて苦しむようにし、その中でマナという不思議なパンを与えられた。それは人がパンさえあれば生きられるものではなく、神の御心でなければ神に祝福された生きがいのある人生を生きることはできないのだということを、あなたがたに分からせるためであった。」(現代訳聖書)

②私たちが陥りやすい罠は、神の御心に従うことと、自分の必要を満たすということを二つのものとして捉えてしまうことです。

それは必要を満たすことが緊急であるような場合には心ならずも神の御心に従うことよりも、目の前の必要を満たすことを優先してしまう生き方です。
もう一つの生き方は、神の御心に従うということの中に、自分の必要を満たすということが含まれていると信じる生き方です。
この生き方を選択している人は、自分の必要を満たすことであっても条件反射的に反応しないように心がけます。
たとえば目の前に大変お買い得な商品があって、これを買わないと損だと物欲が脳内で大爆発するようなときでも、いったん立ち止まって「これを購入することは果して神の御心だろうか?」と考え、祈り、導きを待ちます。
そうすると不思議に購入すべきときは頷(うなず)きがやって来ますし、購入するべきでないときは見送りのサインが送られてきます。

③問題の核心は、自分の必要を満たすこと自体にあるのではありません。

そうではなく「神の御心に従うことをそっちのけにして自分の必要を満たすのは罪ですよ」ということです。
大学生伝道に携わる方がかつて次のようなことを述べておられました。
「学生たちは非常に敬虔であり、すべてのことについて神の御心に従おうとするのだが、こと就職のことになると一転してただただより報酬の良い職業を選択してしまう。その結果、仕事が殺人的に忙しくて教会から離れてしまう。」
これなどはまさにサタンの「石をパンに変えてみろ」という誘惑そのものであると言えます。
神の御心に従うことと、自分の必要を満たすことを別々のこととして捉える生き方をしてはなりません(これを二元的生き方と言います)。
そうではなく神の御心に従うなら、神が自分の必要を満たしてくださると信じる生き方を選び取ることが大切です(これを一元的生き方と言います)。
二元的生き方は必ず信仰の破船(はせん)をもたらします。
一元的生き方は生きがいのある人生をもたらします。

◎さて、私たちはどちらの生き方を選び取るでしょうか?
祝福を祈っています。

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