大阪府の国旗・国歌の強制問題について

大阪府の知事が「国旗・国歌問題で教職員が職務命令に違反し続けるなら免職する」と発言しました。
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

①職務規律と信教の自由の、どちらが優先するか?

職務規律は尊重されなければなりません。
たとえば校長や教頭の指導に従わず、組合の同意を得なければ学校運営が出来ないというのは間違っています。
しかし職務規律への服従が信教の自由に優先されるようなことがあってはなりません。
信教の自由は職務規律に優先します。
職務規律どころか、他の全ての事柄に優先させなければなりません。
これが憲法の命じるところであり、歴史のなかで人類が学んできた知恵であるのです。

②この道はいつか来た道ではないか?[内村鑑三の不敬事件]

内村鑑三は学校で皆が明治天皇の署名を拝むなかで、良心に引っ掛かりを感じ、拝むことが出来ませんでした。
それで内村は敬礼はしましたが、最敬礼をしませんでした。
それを見とがめた神道原理主義者の攻撃によって教職を追われることになります。

この事件に対する神道原理主義者の論の立て方は、キリスト教と国体(こくたい:国家の有り様)というものでした。
これに対してキリスト教会の論の立て方は「敬礼は信仰とは別の問題である」というものでした。
神道原理主義者が、神道による国家支配か、それともキリスト教による国家形成かという論陣を張っているときに、「敬礼と信仰とは別の問題」という的外(まとはず)れの論陣を張っていては、キリスト教会が論議に負けてしまうのは火を見るより明らかではなかったかと、ありのパパは考えます。

③天皇も「国旗・国歌の押し付けは良くない」と仰っている。

ある特定の宗教による国家支配を目指す試みは、必ず神の裁きを受けます。
我が国は65年前、そのことによって徹底的な神の裁きを受けました。
その責任は、神道原理主義者とその策謀に効果的に抗し得なかったキリスト教会にあります。

④教会はどのように戦えば良いか?

公立学校における教職員への国旗・国歌への強制は大阪府だけの問題ではありません。
既に東京都ではクリスチャンが公立学校の教師になることは難しくなっています。
もし東京都に続いて大阪府でも国旗・国歌への強制が実現されるなら、日本中で強制されるようになるのは時間の問題であろうと思います。
教会は的(まと)を外(はず)さないで戦うことがどうしても必要です。

a.信教の自由は服務命令に優先されるべきこと。
b.個人の信教の自由の侵害を続けていると、その結末は国家の破滅であること。
c.我が国の過去の歴史を無視しては、現代を語ることは出来ないこと。

⑤人口の三分の一をクリスチャンが占めるようになるまでは、このようなことが繰り返し起きる可能性がある。

歴史学者もびっくりするような時代錯誤な政策が実行される危険は常にあります。
これを防ぐ最も効果的な方法は、国民の三分の一をクリスチャンが占めることです。
そうするなら大多数の国民の意志に反した政策を実行することは事実上不可能になります。
なぜなら次の選挙で必ず落選すると分かっているようなことをやるバカな政治家はいないからです。

◎福音宣教は人々を救いに導くとともに、私たちが住む国家が神の意志に反して罪を犯さないためにも必要なものです。
私たちクリスチャンは「どうにかして一人でも多くの人を救いに導きたい」との救霊の熱情をもって伝道にいそしみたいものです。

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