罪に勝てないのはなぜか?

多くのクリスチャンが「救われたにもかかわらず、なぜ自分は罪に打ち勝つことが出来ないのだろうか?」と内心訝(いぶか)しんでいます。
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

①伝統的な教派では、この問題に対して解決策を提示しています。

長老・改革派教会は、訓練と成長によって罪に打ち勝つことが出来るようになると教えます。
ホーリネス教会を初めとするウェスレアンは、救いの恵みとは別の第二の恵みである「全き聖潔(きよめ)」を得ることによって内住する罪の性質、すなわち原罪から解放されると教えます。
ペンテコステ教会では異言を伴う聖霊のバプテスマを受けることによって聖霊に満たされ、力強い信仰生活を送ることが出来ると教えます。

②クリスチャン達のある特定の体験が、新しい神学の成立を促進させます。

その体験の共通部分が神学として体系化されていきます。
メソジスト・ホーリネス教会やペンテコステ教会に属した初めの信徒たちは、救われはしたものの力強い信仰生活を送ることが出来ないことに悩んでいました。
しかし聖書を読むと、初代教会の信徒たちは圧倒的といっても良いぐらいの力強さをもって信仰生涯を送ったのを見て取ることが出来ます。
「この彼らと我等の違いは何なのだろうか?」という疑問が、これらの教派の発生の発端(ほったん)となりました。

③その答えがホーリネス教会では「キリスト者の完全」であり、ペンテコステ教会では「異言を伴う聖霊のバプテスマ」でした。

ありのパパは聖潔の信仰を持って何十年と生きてこられた方のお証を何回もお伺いする機会に恵まれました。
これらの人々は日常生活上の悩みの解決と、聖潔の恵みの体験とが見事にリンクされていました。
ある方はアル中から解放され、ある方はちゃぶ台をひっくり返す癇癪持ちから解放されました。
確かに彼らにとっては聖潔の恵みが悩みの解決に繋がっていました。

④聖霊のバプテスマを受けていても、罪の誘惑に弱いのは何故か?

同じように聖霊のバプテスマを受けたにもかかわらず、ある人は順調に成長し、ある人は度々罪の誘惑に負けて罪を犯し、バックスライドを繰り返す、その違いはどこから来るのかという問題は、ホーリネスの神学者たちにとって大変興味ある問題でした。
ありのパパも何冊か、そのような視点に立った書物を読みましたが、そのどれもが十分な原因分析が出来ているとは思えませんでした。
その理由は(ありのパパの理解によれば)カウンセリングという学問が世の中に出てくる前に成立した神学では、本当の理由は知ることが出来ないのではないかと考えています。
カウンセリングという視点があって初めて、なぜ人によって罪の誘惑に強い人と弱い人がいるのかという疑問に答えることが出来ると考えるものです。

⑤生育歴とアダルトチルドレンの問題。

ある人は飲酒に対して強い誘惑を感じます。
それに対して、ありのパパは飲酒に対して全く誘惑を感じません。
しかし怒りに対しては強く誘惑を感じます。
常に心を見張っている必要があります。
この違いはどこから来るかといえば、それは生育歴が与える影響が大きくあります。

問題を問題として捉えず、問題から逃げたり、あるいは問題そのものがあたかもないかのように振る舞うなどは典型的なアダルトチルドレンの物事への対処方法です。
そうするとストレスは溜まりに溜まります。
健全な人はストレスが爆発する前に問題を解決しようとします。
しかし問題があるのに、あたかもないように振る舞う人は、いずれはストレスが爆発してしまいます。
その爆発の真の原因を知ろうとせずに、敬虔なクリスチャンを演じようとすると罪の誘惑が制御不能な大きな力を伴って襲ってきます。
この根本の問題に手を着けるまでは、罪の問題に振り回され続けることになります。

◎明日は、ではどうしたら罪に打ち勝つことが出来るようになるかを具体的に考えてみたいと思います。

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コメント

  1. 冬猫 より:

    こんばんは。お加減はいかがですか?
    去年の夏に親との関係を手放してみました。
    その後他の事も含めてとてもとてもつらい時期がありましたが、それは神様の治療期間でした。
    そのおかげで、少しずつ自分の感情と向き合う事ができ、以前よりは問題を直視できるようになったようです。
    まだ、「あれ?」と思う事を深く考えないで流そうとする傾向は消えませんが、そのせいで良く問題が起こる事は自覚できるようになりました。

    そして、イエス様のご配慮で、今年に入って大きな変化が訪れ、ようやく両親を赦すことができました。
    相変わらず、絶対謝ってはくれませんが、謝罪がないと無理と思っていたのに、今はそれもどうでもよくなり、両親も地獄に落ちるより天国に来てほしいと思えるまでになりました。
    本当に、神様のする事って素晴らしいですね。
    去年の今頃にはこんな状態想像もつきませんでした。

    今も新しい環境を与えられて、その中でふと自分がぶれそうに感じることがあるのに、理由が判然としませんでしたが、やはりどこかで感情や問題を見逃して、誘惑を感じているのかもしれません。

    うちはバプテスト派の教会なので、異言は賜物の一つとしてとらえ、ただ、問題化する場合も多いので、公には言及しない立場です。
    ですから、私は与えられた異言についてはごく一部にしか教えていません。
    でも、確かに異言の祈りは自分を整えることにとてもいい手段だと思いました。
    ACAも異言も、ありのパパさんから教えて頂きました。
    感謝の証ですが、長々とすみません。

    これからもご無理をせず、お体を第一にされてください。
    不定期更新でも楽しみにしております。

    • arinopapa より:

      冬猫さん、こんにちは。
      コメントをありがとうございます。

      ご両親を赦すことが出来たとのこと。良かったですね。
      これは難しいことであり、私自身も「赦しているか?」と問われるならば、全く赦しているとは言えません。
      私たちお互いは生きている間中、ずっと自分自身を赦し、隣人(両親を含む)を赦し続ける営みをしていくように備えられているのだと思っています。
      冬猫さんの上にますます豊かな神様の祝福と平安がありますようにと祈ります。

      お気遣い感謝します。腱鞘炎の悪魔が隣部屋の扉を開ける音が聞こえてくると、キーボードを打つのを止めるようにしております(笑)。

      またコメントしてください。お待ちしています。