偽証の罪の重さ

サムエル記第二の1章には、自分で殺したのでもないのにダビデに取り入るために、自分がサウル王を殺したと嘘をついたアマレク人の若者が登場します。
今日は皆さんとご一緒に、偽証(ぎしょう)ということを考えてみたいと思います。

1.アマレク人の若者は「サウル王を殺した」と言えば、ダビデが喜ぶと勘違いしました。

しかし実際には「お前は神が油注がれた(認証した)王を手にかけたのだ。それは死に値する」とダビデに断罪され、殺されてしまいました。
この若者を一面では可哀想に思うのは、このように考えたのはダビデの部下も同じであったということです。
サウル王を殺す機会がめぐってくるたびに、ダビデの部下はダビデの耳元にそっとささやきました。
「今こそサウル王を討ち取って、あなたが王になるべきときです」
しかしダビデは常に次のように返答しました。
「神が油注がれた王を不法な手段で退位させてはならない。そんなことをすれば今度は神ののろいが自分の上にくだることになる」
このようなことが幾度かあり、ダビデの部下もダビデの信仰にならうようになってきました。
それでサウル王が亡くなったとの知らせを聞いたとき、ダビデだけではなく部下の人たちも同様に悲しんだのでした。

このような信仰の変化を全然知らないで、のこのことやってきたアマレクの若者は大馬鹿者でした。
挙げ句の果てに自らの偽証のために、自分の命を落とさなければならない羽目に陥りました。

2.沖縄県南部牧師会のこと。

①南部牧師会の総意として裁判所に提出された陳述書。

総意であるとして提出されたものが、総会を開くこともせずにファックスや電話で連絡するのみという余りにも安易な方法で作成されたものであったとしたら、裁判所はどのような心証を持つでしょうか?
このような陳述書を沖縄県南部牧師会の総意であるとして裁判所に提出した行為は、神の前では偽証になると考えるのはありのパパだけでしょうか?

②「以前の役員がやったことだから、現在の役員である私たちには関わりがない」という言い訳は神の御前で通用するか?

こんなたわけたことを言う人は聖書を読んだことがない人だと言われても仕方がないのではないでしょうか。
もし以前の役員がやったことの責任が、現在の役員に及ばないのだとしたら、こんなおかしなことはありません。
以前の役員がやったことの直接的な責任はなくても、その出来事の真相を追求する責任が現役員にはあります。
もしそれを怠(おこた)るなら、現役員は新たに怠りの罪を犯すということになります。

③「裁判はもう終わっているし、牧師会の陳述書は多くある陳述書の一つに過ぎないから、そんなに騒ぎ立てることはない」

このような言葉がクリスチャンから出てくるということが、まず信じられません。
私たち日本人クリスチャンは総人口のわずか1%であっても、声を上げ続けることの大切さを信じて、宣教の業に励んでいるのです。
多くある陳述書だからこそ、真実を語らなければならない責任があるのではないでしょうか?

3.私たちが聖書を信じ、聖書を学び、聖書に従う意味はどこにあるのか?

①問題は裁判でもなく、意見書でもない。一人の人の人権が著しく侵害されている事件に沖縄県南部牧師会が深くかかわっていることです。

沖縄県南部牧師会は「もう終わったことだ」と言います。
しかしこの女性の土地は戻ってきていませんから、財産権は侵害されたままです。
なぜ終わっていないものを「終わった」と強弁するのか理解に苦しみます。

②沖縄は今も米軍基地の問題で苦しんでいます。

この問題は66年前の沖縄戦から続いている問題です。
それ以前には琉球王国が併合されるという歴史の事実があり、その延長線上に今の困難があります。

もし沖縄県南部牧師会が「もう終わったことだ」と言い張るのなら、それは人の前にも神の前にも大きな罪を犯すことです。
この地上に「もう終わったこと」など一つもないのです。
このことを一番よく分かっているのが沖縄の人たちではないのでしょうか。

③沖縄県南部牧師会に属するすべての教会の牧師と信徒が、この問題で神の審判を受けなければならないのをもう一度わきまえるべきです。

生きておられる神を畏れなければなりません。
神は私たちが見くびって、それで済むような御方ではありません。
アマレクの若者の二の舞(にのまい)にならないようにしなければなりません。

◎もし私たちが黙るなら、石が叫びだす。
『あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう』[ルカ19:40]

スポンサーリンク

コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさん、おはようございます。

    これから起きるのは、リバイバルか背教か、その両方なのか、それとも大したことは起きないのか…。

    すみません。考えてもしょうがないことを何となくコメントしてしまいました。

    • ありのパパ より:

      おはようございます、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      リバイバルでも背教でもありません(笑)。
      このようなことは二千年前から起きていることです。
      そしてこれからも人間が罪人である限り起き続けると思いますが、いかがでしょうか?
      大切なことはその時その時でキチンとした対応をとることであると考えます。

      またコメントしてください。お待ちしています。