二十六聖人殉教の日

414年前の今日、二十六人のカトリック信徒たちが十字架に掛かって殉教しました。
[以後よく]伝わるキリスト教と暗記した1549年に始まったカトリックの宣教は60万人から300万人がキリシタンになるという大成果を収めました。
しかし[以後苦難]と暗記した1597年に大殉教が起きてからはカトリックは苦難の時代が続きます。
江戸幕府が倒れた1867年から足かけ7年後の1873年の禁教令の撤廃まで、276年間の弾圧と迫害を耐えねばなりませんでした。
このブログが続く限り、今日のこの日をカトリック大弾圧を考えてみる日としたいと思います。

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1.ホーリネス弾圧とキリシタン弾圧の共通点。

それはキリスト教が政権の維持に役立っている間は保護したり、あるいは黙認しますが、政権の維持の邪魔になると考えるようになると手のひらを返したように弾圧するというところです。

①キリシタンの場合、織田信長を初めとする為政者はその当時強力な勢力を誇った一向門徒(浄土真宗)を恐れました。

それで新興勢力のキリスト教に肩入れすることで一向門徒の勢力をそごうとしました。
また神父たちを仲立ちとする海外貿易から受けることの出来る利益を欲しがりました。
しかし政権の基盤が固まってくると、キリスト信仰における神への忠実さは国家支配の邪魔になると考えるようになりました。
また宗教勢力もその頃には弱体化しており、警戒しなければならない相手ではなくなっていました。
その結果、支配者たちはキリシタンの根絶に乗り出しました。

②ホーリネス教会の場合も、明治維新から続く神道原理主義政府にとってキリスト教は目の上のたんこぶのような存在でした。

しかし諸外国との交易や条約交渉を考えると、キリスト教を禁止したままでは都合が悪かったのでやむなく禁教令を撤廃しました。
それが昭和の時代になって国内の民主主義勢力が根絶され、キチガイ犬のような神道原理主義者の天下になると、政府はホーリネス教会に手を延ばしてきました。

③共通点はその当時の政府が神道原理主義によって国を治めようとしていたことです。

ここから明らかなことは日本における政府は非常に神道原理主義の影響が強いということです。
大正時代は憲法擁護運動が盛んに行われ民主主義勢力が伸長しました。
しかしその裏では神道原理主義勢力は着々と策謀を巡らしていました。
そして昭和の時代に入ると、民主主義勢力はことごとく根絶やしにされました。
現在の日本では民主党が政権を担当していますので、神道原理主義の影響は薄らいでいます。
しかし自民党のほとんど全員の国会議員が神道原理主義団体である「みんなで靖国神社に参拝する会」のメンバーです。
ということはいつでも戦前のような状態に逆戻りする危険性があるということです。

2.ホーリネス弾圧とキリシタン弾圧の相違点。

キリシタン迫害のときは宣教師が全員国外追放になり、ホーリネス弾圧のときには教職は全員牢獄に囚われの身となりました。
しかし残った信徒たちによって構成される教会の反応は全く異なるものでした。

①キリシタンたちは信徒組織である「講」を組織し、講ごとに世話役を置きました。

祈りの言葉は暗記され、世話役の交代の際に伝承されていきました。
驚くのは、その伝承の正確さです。
本国では廃れてしまって歌われなくなったグレゴリオ聖歌が隠れキリシタンの中で歌い継がれていたのが、最近明らかになりました。
祈りの言葉も意味するところは分からなくなっても、発音だけは正確に覚えられていたそうです。
こうして約三百年の間、地下に潜伏して彼らは信仰を守り通しました。
長崎に開国後初めての教会が出来たとき、何千名もの隠れキリシタンが名乗り出たのでした。

②教職がいなくなったホーリネス教会の信徒はクモの子を散らすように散り散りばらばらになりました。

牢獄に面会にくる信徒は誰一人なく、かえって教会を解散する手続きを嬉々としてやってのける信徒もいたようです。

3.教理教育と信徒組織。

①キリシタン時代のカトリックは教理教育をしっかりやっていました。

これはどういうことかというと、論理的に信仰を捉え直すということを意味しています。
それに比べてホーリネス教会は「救いの確信」とか「全き聖潔」などの信仰体験を強調しました。
信仰体験というと聞こえは良いのですが、それはある面では信仰を感情面でのみ捉えるという傾向がありました。
キリシタンたちは教理教育のおかげで堂々と自らの信じる信仰を弁明することが出来たようです。
(現代のカトリック信徒の皆さんは如何でしょうか?
キリシタンたちと同様に弁明を求められたとき、明快に信仰を解きあかすことがお出来になられますか?
プロテスタントもそうですが、人々に信仰を分かりやすく伝えることが出来るというのは実に大切なことです。)

②キリシタンの講組織は現在でも残存しています。

それぐらい信徒組織というものは強力なものであるようです。
初代教会も家の教会を中心にして活動が行われていたのを聖書から知ることが出来ます。
私たちの現代キリスト教会はどうでしょうか?
プロテスタントにもセルグループはあります。
しかしセルは信徒組織ではありません。
なぜなら信徒組織とは信徒のみによって構成される集まりであるからです。
集会の報告を牧師にすることを義務づけられているようなものを信徒組織であるということは出来ません。

◎60万人から300万人という数字は当時の人口からすると、4%から21%ということになります。
私たちの国には確かにキリスト教がリバイバルしていた時期があったのです。
一度あったことは何度でも再現可能です。
この混迷の時代といわれる現代にあって十字架の旗を高く掲げて前進しようではありませんか!