今日一日を生きる力だけを求めます

ありのパパは朝起きるときに寝床の中で「今日一日を生きる力だけを求めます。そして私が無力な者であるという自己認識から迷いださないように導いてください」と祈ってから、「よっしゃ~!」と寝床を蹴りあげます(笑)。
また夜には今日一日のなかで感謝できることを具体的に五つあげながら眠りにつきます。
今日は皆さんとご一緒に、今日一日を生きる力だけを求めるとはどういうことかを考えてみたいと思います。

スポンサーリンク

1.今日一日を生きるとは、明日のことは明日に心配させておく生き方です。

①『明日のことは明日に心配させておきなさい』と言われたのはイエス様です。

典型的なアダルトチルドレンであるありのパパは「そんなこと言われてもなぁ~。どうしたら明日が自分の代わりに心配してくれるようになるのだろうか?」と真顔で考え込んだものでした(笑)。
しかし今は感謝なことに明日のことを明日に心配させておくことが出来るようになりました。

②「明日」にどうやって心配させるか?

もちろんこの言い方は方便に過ぎません。
方便とは、ある真理を教えるのに具体的なことを持ち出して気づきを与えることを言います。
今日一日に心を集中して生きていても、思考が迷いだすことがあります。
そのようなとき、自分に向かって言い聞かせます。
「明日のことは明日に心配させておけば良い。あなたは今日一日に全力投球だ」
これが明日のことは明日に心配させておくということの真意ではないでしょうか。

③明日のことを心配していると、今日を全力で生きることが出来なくなります。

ある人は「明日のことをも考慮に入れて、今日を生きるならより良く生きて行くことができるのではないでしょうか?」と言います。
確かに理屈の上ではそれは正しいです。
しかし現実的に、心理的な面からいうと、それは正しくありません。
なぜなら人間が神から受取るエネルギーはある一定のものです。
それは今日一日分です。
ちょうど天から降ってきたパンであるマナが一日分だけであったようにです。
それで明日のことを心配していると、神からいただいたエネルギーがまるで燃料タンクから漏れだしてしまうようになります。
それで結局、明日のことを心配する人は今日一日をさえ十分に生き抜くことが出来なくなってしまうというわけです。

2.今日一日を生きるとは、過去を後悔することなく、くっきり・さっぱり・しっかりと生きていく生き方です。

過去を引きずらないで生きていくためには、どうしたら良いでしょうか?
未信者の方なら「忘れることだ」「水に流してしまいなさい」と言われるかもしれません。
しかしこれをやってみたことがある人は皆同意してくださると思いますが、忘れることなど決して出来るものではありませんし、水に流したつもりと実際に水に流すのとは全然別のことであるのを身に沁みて知るようになります。

過去を引きずらない生き方とは、心に引っ掛かりがあるときは、それが対神関係であるなら悔い改めを、対人関係であるなら相手の方に謝罪と償いを、自分自身への自責の念であるなら神から赦しを受取ることです。

3.人生とは一日の積み重ねであるということが本当に分かったら、人は一日を生きることに集中するようになります。

①子供のときと大人になってから何が一番違うかというと、それは月日が流れていく速さではないでしょうか?

小学生の頃、夏休みは永遠に続くかと思われるほど長く感じました。
それで「もっと休んでいたい」などとは全然思いませんでした。
今の自分とどれだけ違うことでしょうか(笑)。

②歳をとれば取るほど、年齢が進んでいくのが早く感じられるようになると言います。

子供のときのことを考えてみると、アダルトチルドレンであったにもかかわらず明日のことを心配せず、昨日のことはきっぱりと忘れていました。
子供のときのような幸せ気分を取り戻す最も手っとり早い方法は、今日一日を生きることだけに集中することです。
そうしたら安心と幸せが戻ってきます。
そして子供のときには感じることのなかった充実感という恵みも味わうことができるようになります。
祝福を祈っています。