サウル王の心の問題

旧約聖書のサムエル記に記されているサウル王のお話はきわめて今日的な問題でもあります。
今日は皆さんとご一緒に、サウル王が抱えていたと思われる心の問題を考えてみたいと思います。

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①なぜサウル王はダビデを憎んだのか?

ある人は「そりゃ、決まってるでしょ。自分の王位が危うくなると思うからさ」と答えました。
でもね、この答えは余りにも思慮が浅すぎます(笑)。
この方の仰る通り自分の王位を危うくすると思ったからダビデを憎んだというのなら、サウルの息子のヨナタンはもっと憎んだはずです。
なぜならヨナタンは次の王様になることが約束されている身ですから、自分の将来を台無しにしてしまうかもしれないダビデを憎んでも当然であると思われるからです。
しかしヨナタンはダビデを憎むことをせず、かえって「彼(ヨナタン)はダビデを自分自身のように愛していた」[Ⅰサムエル20:17]と聖書には記されているのです。
ですから自分の王の座が危ういと思ったことが、ダビデを憎んだ真の理由ではないということが明らかです。

②主がダビデと共におられること、また自分の娘に愛されていることが、サウルがダビデを憎んだ理由です。[18:28,29]

サウルが持っていない二つのものをダビデは持っていました。
一つは主が共におられることであり、もう一つは人々に愛されているということでした。
サウルにとって信仰とは「市民宗教的信仰」に過ぎないものでしたし、愛されるといっても「人気がある」ということに過ぎないものであったように思います。
「自分の持っていないものを持っている者を憎む」という感情はありのパパにはよく分からない感情ではあります。
なぜなら自分のうちに「無い」ことを自覚したなら、「有る」ように努力すれば良いだけの話ではないかと考えるからです。

③サウルにはそうできない事情がありました。

主が共におってくださるためには、何よりも主を第一にすることが必要ですが、サウルは神よりも人の顔を恐れました。
なぜ人の顔を恐れるかというと、それは人を神よりも優先しているからです。
もし神を第一にするなら、人への恐れに屈伏するということはありません(依然として恐れはあり続けます。負けないというだけです)。

自分の娘のミカルがダビデを愛していたことが、サウルの憎しみの理由になったというのは大変興味深いことです。
これは父親が娘の恋人に厳しく当たるというのとは訳がちがいます。
なぜなら厳しく当たっても殺そうとはしないからです。
サウルにとって人々が示してくれる愛情は、自分の人気のバロメーターのようなものであったのかもしれません。
そう考えるなら、人々の愛と関心が自分以外の者に移ることに恐怖心と憎しみを覚えるということが理解できます。

④自分の中にマイナスの感情があるのをどうしたら気づくことが出来るか?

サウルの一生は自分のなかにあるマイナス感情に振り回された一生であったということが出来ます。
これは「心の傷」と呼ばれたり、聖書に「私のなかに傷の付いた思いがないかどうか調べてください」と記されているものと同一のものです。
サウルはこのマイナス感情が自分のうちにあることに気づかなかったため、ヨナタンに説得されると心を翻し、傷の付いた思いが疼(うず)きだすと再びダビデを殺そうとしたりしました。

サウルに限らず、人は誰でも自分の中にある傷の付いた思いの存在に気づくまでは、自分自身を傷つけ、人々を傷つける人生を送るほかはありません。
ですからどうしても生きている間に、人生のどこかで気づくことが大切です。
そのためには聖書を読むときに、登場人物と自分自身を重ね合わせてみることです。
そして「この人はどうしてこのような行動をしたのか?」と考えてみます。
そうすると段々と自分自身を客観視することが出来るようになり、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。

⑤自分の中にマイナスの感情があるのを気づいたら、どうすれば良いか?

ここが一番肝心なところです。
決して問題が無いように振る舞ってはいけません。
これを抑圧と呼びますが、これをすると心の傷が化膿し、ますます症状が悪化します。
ではどうすれば良いかというと、治そうとせず、ありのままで受け入れることです。
こう言うと「治さなくて良いんですか?それでもクリスチャンですか!」という人が必ず現れます(笑)。
回復させてくださるのは神様の仕事です。
私たちの仕事は自分自身をありのままに受け入れることです。
人間は人間のなすべき仕事をやれば良いのです。
そうすれば神様が神のなすべき仕事をしてくださいます。

◎旧約聖書も私たちの信仰生活のために書かれたものです。
旧約聖書は私たちの心を映し出す鏡のような役割を果たしてくれる書物です。
お互いは旧約聖書からも沢山の恵みをいただく者でありたいものです。
祝福を祈っています。