五つの石と石投げ器

少年ダビデがペリシテの巨人ゴリアテと戦ったとき、初めは王のサウルからもらった身の丈(みのたけ)に合わない鎧(よろい)を着ていました。
しかしダビデは鎧を着ていては巨人ゴリアテと戦うことは出来ないと考え、その鎧を脱ぎ捨てました。
この聖書の物語に隠されている教訓を学びます。

        

1.少年ダビデに日曜学校生徒が共感する理由

日曜学校で「少年ダビデと巨人ゴリアテ」のお話をすると、日曜学校生徒は目を輝かせてお話に聞き入ります。
それはそうです。
物語の登場人物は自分たちと同じ少年であり、自分たちも大人という巨人ゴリアテから嫌なことを日頃から強制されているからです。
そんな弱い自分たちと同じ少年が、巨人を倒すことができるというだけで胸がわくわくするのは当然です。

しかし子供たちはなぜダビデがゴリアテに勝つことが出来たのかの真の理由を知ることはありません。
子供はそれで良いのです。
しかし大人がそれではいけません。
ダビデがゴリアテに勝った真の理由とは一体なんだったのでしょうか?

        

2.自分の強みを知っているか?

ダビデは自分の強みが何であるかを知っていました。
敏捷(びんしょう)さを生かすことが、ゴリアテに勝つことの出来る唯一の道であるということです。
彼は羊の番をしているとき、羊を狙う野の獣を自身の敏捷さを生かして何度も仕留めたことがありました。
それでライオンのようなゴリアテを見た時、とっさに「こいつに勝つにはライオンと戦ったときのような戦い方をするしかない」と思いました。
人生に勝利する秘訣は石にしがみついてでも自分の強みを生かす道を選びとることです。

        

3.人を恐れて自分の強みを選び取らないと敗北!

人の顔を恐れていては、神からの祝福を得ることは出来ません。
ダビデも初めは自身の強みを生かす道を放棄しようとしました。
それは王様が鎧(よろい)をくれるというので断るわけにはいかなかったからです。
しかし実際付けてみると、鎧を支えるだけで精一杯であり、とても巨人を相手に戦うどころの話ではないのを悟ります。
それでダビデはその鎧を脱ぎ捨ててしまいました。

多くの人々は自分の強みが相殺されるような状況であっても、人々の顔色を恐れてその要求を受け入れてしまうことがほとんどです。
このような話をしていると皆「そうだよね。何があっても自分の強みを生かさないと」と言うのですが、いざ実際にそのような状況に直面すると理不尽な要求を受け入れてしまいます。
あとからなぜ受け入れたのかと聴くと「そうは言っても」と延々と言い訳が続きます。

        

4.恐れではなく、神に従うことを選び取る

「そうは言っても」という言い訳を言うか言わないかが人生の分かれ目です。
多くの人は理不尽な要求を受け入れたことを「色々なことを考えた末の選択だ」と言います。
これらの人は自分の選択が、人の顔を恐れた故であることに気づいていないか、気づいていても決してそれを認めようとしません。
このような人は次また同じような場面があったとしても、やはりまた同じ選択をするものです。

サウルは常に神よりも人の顔を恐れました。
しかしダビデは目に見えるものだけでなく目に見えないものまでも裁かれる神を畏れました。
私たちはどうでしょうか?
ここで言わんとしていることは、人の顔を恐れてはならないということではありません。
そんなことを言っても何にもなりません。
なぜなら人はどうしても他人の顔を恐れるからです。
しかし右に神を畏れるという行為があり、左に人を恐れるという行為があるとき、私たちは決して左の道を選び取ってはならないのです。

        

5.人と同じことをせず、徹底的に自分の強みを活かす

アダルトチルドレンが自分の強みを生かすことがなければ敗北は決定的です。
もしACが「人がやっているから」ということで、人と同じように振る舞おうとするなら結末は惨めなものにならざるを得ません。
決して人と同じことをやらないことです。
人がやらないオリジナリティーのある道を進むことです。
一人で行くのは恐ろしいし、誰かに指示してもらった方が楽ですが、歩み始めてみると「案外、一人も良いもんだ」と思うものです。

私たちは恐れの故に、身動きが出来ないような鎧をかぶって生きていないでしょうか?
ダビデが身の丈に合わない鎧を脱ぎ捨てたのは、私たちへの教訓です。
私たちお互いは鎧を脱ぎ捨てて、身軽になって自分の強みを思う存分に生かすことの出来る人生を歩みたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    先日はまた、横からしょうもないコメントをしてしまい、どうもすみませんでした。

    過去記事を何気無く検索して、本当に心に滲みることがあります。
    昔々、浜松で「人を恐れてしまいました」多くの人達の人生に甚大な被害が及び、私の人生もコテンパンになってしまいました。

    今回は「神を恐れる」選択が出来たように思います。

    御助言、改めて有難う御座いました。

  2. ありのパパ より:

    こんばんは、マッキーさん。
    コメントをありがとうございます。

    平安と祝福を祈っています。
    (あちらの方のコメントのこと、察していただき感謝をいたします)
    これからもよろしくお願いします。

    またコメントしてください。お待ちしています。