量的拡大を目的とすることの誤り

①本国(イギリス)のメソジスト教会の指導者であるジョン・ウェスレーは奴隷制度に対して反対の説教をするように配下の説教者たちを指導しました。

彼は手紙の中に「私たちの説教者が奴隷廃止を説教するなら、メンバーの中で奴隷から利益を得ている人々は私たちの交わりから離れていくだろう。しかし神は私たちが神の御心に忠実に従っているのをご覧になって、私たちから離れていく以上の人々を新たに加えてくださる」と書きました。
これに対してアメリカ・メソジスト教会の指導者であったフランシス・アズベリーは心ならずも口をつぐみました。
これには色々な理由が考えられます。
当時のアメリカは様々な教派が企業の競争のように信徒獲得競争を繰り広げていました。
それで信徒が減少することへの本能的な恐怖心が彼らの心を知らず知らずのうちに支配するようになっていたのかもしれません。
その結果、アメリカ・メソジスト教会は順調に信徒数を伸ばしましたが、その付けは何百万人ものアメリカ国民が南北戦争によって命を落とすという形で支払わなければなりませんでした。

②もしアメリカ・メソジスト教会が勇気をもって奴隷制度に反対していれば、平和的な手段で奴隷制度を廃止できていたかもしれないのです。

歴史においては「もし」という言葉は禁句であると言われます。
しかしイギリス・メソジスト教会は自らが中心となって奴隷制度廃止の国会請願を行い、ついにイギリス国内から奴隷制度を根絶してしまったのを見るなら、アメリカ・メソジストの決断は大変残念なものであったと言わなければなりません。
ジョン・ウェスレーは18世紀英国を流血の革命から救ったと(流血の革命といわれるフランス革命との対比において)良く言われます。
しかし奴隷制度廃止によって英国を内戦の危機から救ったということは余り言われることがありません。
なぜならメソジスト運動の中心がアメリカに移ったこともあって、アメリカ・メソジストの人々にとって都合の悪い奴隷制度廃止のことは意図的に等閑に付されたのかもしれません。

③聖書の宣教命令と教会成長運動の違いは何か?

『全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい。そして彼らを(キリストの)弟子としなさい』というのが聖書の命令です。
福音派教会は、この命令を人間的・肉的に捉えました。
まず全ての人を弟子化するという目標を立て、そのために中期目標を立てました。
これは実際的・実践的・具体的でありましたので、それまで霊的雰囲気の中で漂っている感じのあった福音派教会の人々には新鮮に映りました。
ここに大きな落とし穴が備えられているということに思いが及びませんでした。
教会成長の方策が企業の成長戦略と瓜二つであることに警告を発する人もいませんでした。

④最も重大な誤りは教会の量的拡大が目標としてではなく、教会の存在目的へと、すり替えられて行ったことです。

量的拡大を目的とするようになると教会は預言者としての声を、この世に対して上げるのを躊躇するようになります。
教会がこの世に対して「否(いな)!」と叫び声をあげるとき、その影響を真っ先に受けるのはこの世の人々ではありません。
そうではなく、教会内の世俗的な生き方をするメンバーであるのです。
それで教会員が教会を去るのを恐れて「ボイス(神の声)」を発するのをためらうようになってしまいます。
そのような神の御心に忠実に歩まない教会に対して、神は聖霊の臨在と御同行をお与えにならなくなります。
そうすると教会はますます教会マネジメントに嵌(は)まっていくという悪循環の結果が、現在の福音派教会の様々なスキャンダルではないでしょうか。

⑤だからと言って教会は宣教の使命を放棄してはならない。

教会は全ての人に福音を宣べ伝えるのが神から与えられた使命です。
ですから時が良くても悪くても、しっかりやらなくてはなりません。
この大目的を達成するために中期目標を立てるのは構いません。
しかしこの目標を教会の存在目的としてはなりません。
ある人々は「そんなことは分かっているし、今までもそうしてきた」と仰るでしょう。
しかし現実は、教会の存在目的である「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」というキリストの命令は真剣に受け止められなくなり、教会員の新規獲得だけが教会指導者の心を占めているということはないでしょうか?
私たちは教会の存在目的である「互いに愛し合う」ことに全力を尽くしながら、一方では宣教の使命を果たすことが必要です。
これは車の両輪のような関係にあり、どちらか一方だけに注力するというのが不可能なことであるのです。

◎初代教会に聖霊の臨在と御同行が豊かにあったのは、彼らが「互いに愛し合う」ことと「宣教の使命を果たす」ことに命懸けであったからにほかなりません。
もし現代の教会である私たちが初代教会と同様な主の臨在と御同行を求めるのなら、私たちの側で果たすべき責任をまず果たすことが必要です。

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