本音の交流がうまくいかない理由

教会などでスモールグループなどを始めても、うまくいかないのが普通です。
今日はこの問題について皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

①交流が盛んな教会ほど分裂騒ぎの危険が大きい?

若い人たち中心の教会や、同世代の者が多い教会などですと分け隔てのない交流を持つことが出来やすいです。
反対に様々な年代の者が集まっている教会ですと、世代の差を超えて交流を行うというのは中々難しいことです。
このように書くと一見交流が多いほうが良いと書いているように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。
なぜなら交流の多い教会では、それゆえの感情的な行き違いが生じやすく、結果として分裂騒ぎなどが起こることが多いからです。
交流がなければ感情の行き違いも生じることがありませんから、分裂騒ぎが起きる危険も少なくなります。

②聖書の命令は、クリスチャンが交わりの中で成長していくことです。

『(a)もし私たちが光の中を歩んでいるなら、(b)私たちは交わりを保ち、(c)御子イエスの血はすべての罪から私たちを潔めます。』[Ⅰヨハネ1:7]

a.「もし私たちが光の中を歩んでいるなら」とは[生きた信仰生活を行っているなら]という意味です。

b.もし私たちが生きた信仰生活を行っているなら信仰者相互の交わりは必ずなければなりません。
信仰は生きているが、交わりには心を閉ざしているというのはあり得ないことです。
(しかしだからといって交わりをしたくないという者を力ずくで交わりに引き入れるようなまねをしてはいけません)

c.信仰者相互の交わりの中で育てられていくとき、私たちはキリストを目指して成長することが出来ます。
多くの人々は成長を願いはするのですが、そのために果たさなければならない条件に従おうとしません。
一言でいえば、お手軽に自分の願望を実現しようとし、自分の自我が傷つかない範囲でしかリスクを背負おうとしません。

③交流がうまくいかない最大の理由は相手の本音を受け入れられないということ。

クリスチャンは自分の信仰生涯の中で自分自身の本音が受け入れられなかったという体験を持っています。
それで建前だけのお茶を濁すような交わりに止めておいた方が身のためであると学習しているのです。
しかしそれは聖書の命令に反しますし、何よりそんなことをしていては成長することが出来ません。
それで多くのクリスチャンが本音の交わりに踏み出しますが、お互いに傷つけあって、それで終わりということになっています。
そうならないためには、どうしたらよいのでしょうか?
それは相手の本音をそのまま受け入れることです。
自分の中に定規(じょうぎ)があって、その定規で相手の主張を計(はか)っていたのでは喧嘩になるのは当たり前です。
これは相手の主張を鵜呑(うの)みにして、その主張が正しいと肯定するのとは全くちがうことです。
受容するとは、そう言わざるを得ない気持ちをありのままに認めることです。
「でもね」とか「そうは言っても」とか「って言うか~」などは禁句です。
「なるほど~」「えぇ~」「はひふへほ」で応答します。
はひふへほとは、はぁ、ひぇ~、ふ~ん、へぇ~、ほう、と相槌(あいづち)を打つことです。

④交流がうまくいかない二番目の理由は運営上のルールを守らないことです。

スモールグループの運営ルールは[言いっぱなし・聞きっぱなし・他言無用]です。
あるカウンセリングの先生は「このルールを守ってくださいと言うと、皆さんは『はい、分かりました』と言うのですが、守ることが出来るのは三分間だけです(笑)」と仰っていました。
このルールを守らなくさせる原因は、メンバーが自分自身をありのままに受け入れていないということです。
自分自身に対して「これが出来ればあなたは合格、出来なければ生きていてはいけない」と言い続けているのです。
そんな人が他人に対して「あなたはありのままで良い」などと言うことが出来るはずはありません。
多くの方々は自分が自分自身に対して無意識のうちにそのように言っているということさえ気づいていません。
それで自分の持っている考えと違うことを誰かが言うと、自分の本音が引き出されるので黙っていることが出来なくなるというわけです。

⑤忍耐を持ってスモールグループに出席し続けると、気づきが与えられるようになります。

初めのうちは「自分は間違ってない。間違っているのは相手だ」と思い込んでいても、そのうちに「問題があるのは自分ではないか?」と気づきが段々と与えられてきます。
こうなると、しめたものです。
私たちお互いは、グループの中で本音の交わりを保ち、御子イエスの血が私たちの罪(否定的な様々な考え方)を潔めてくださるようになります。

◎名前だけの建前クリスチャンではなく、実質のある本音クリスチャンとして信仰生活を送りたいものです。
祝福を祈っています。

スポンサーリンク