マスコミの将来とインターネット

①新聞を初めとするマスコミは民主主義にとってなくてはならないものです。

ある人々はインターネットの発達によってマスコミの役割は縮小し、やがては消え去っていく運命であるといいます。
しかしこの主張は間違っています。
インターネットは情報伝達の道具であり、それ自体に意志があるわけではありません。
ネットは情報を流すための管であり、情報を流す人が他にいなければ管があっても何にもなりません。
ですからネットかマスコミかという二元的な捉え方がそもそも間違っています。
ネットはマスコミが情報を伝達するための道具の中の一つという位置づけが正しいのです。
新聞、ラジオ・テレビ、雑誌などの媒体に新たにネットが加わったということです。

②情報を発信する出所に、プロ意識によって統制されている集団の存在が必要です。

ネット上では様々な情報が真偽を確かめられることなく流されています。
芸能人の結婚・離婚情報なら、それもかまわないかもしれませんが、政治や人権にかかわることまで同じようであってはなりません。
インターネットは一見客観的であるように見えて、きわめて主観的な媒体です。
その一例がネット上の世論調査です。
ネット上で行われる世論調査は新聞各社が行う世論調査とは異なる結果であることが多いのです。
しかし選挙の結果などを見てみると、ネット上の世論調査ではなく、マスコミが行う世論調査の結果どおりになっているようです。

もし新聞社という存在が無くなるなら、一体誰が信憑性のある情報を発信してくれるのでしょうか?
どこにもそんな奇特な人はおりません。

③情報を漠然と流すだけなら、新聞社は存在できなくなる。

新聞社の存在意義は、真実の暴露、調査報道、分析報道にあります。
尖閣諸島沿岸における中国漁船の体当たり映像を新聞社でなく、youtubeにアップしたのは、我が国のマスコミが信用されていなかったからにほかなりません。
普段、政府発表を垂れ流すのみのマスコミが告発者に信用されないのは無理もないことです。
ある朝日新聞記者は「持ち込んでくれたらいいのに」とtwiterでつぶやきました。
しかし問題は、持ち込んでもらえるためには、あなたがたはどうしたら良いかを考え、対策を立て実行することです。
それなしに「持ち込んでくれたらいいのに」とつぶやくだけでは、老人の白昼夢と同じです。

④ウィキリークスのこと。

ウィキリークスはネット上の暴露サイトです。
この暴露サイトでさえ、直接暴露するのではなく、イギリス・フランスなどの新聞社に内容を精査してもらってから発表するようにしています。
ここではマスコミが情報の番人として依然として高い信用を勝ち得ているのを見て取ることが出来ます。
しかし残念ながらそのマスコミの中には日本の新聞社は一社も含まれていません。
我が国の新聞社はただ発表されたものを垂れ流しているのにすぎません。
日本の新聞社をこれを恥ずべきことと考えないのでしょうか?

⑤情報は昔から只(ただ)でした。

江戸時代の瓦版などは速報性を武器に部数を伸ばしていきましたが、お金は情報に対して払ったのではなく、一枚のペラペラの紙に対して払われたのでした。
現在のアメリカの新聞社のネット上の有料サイトの試みもうまくいっていません。
やはり無料ということを売りにしてアクセス数をアップさせ、それによって宣伝単価をアップさせるというやり方が、インターネットの時代に生き残る道ではないでしょうか。

◎新聞紙を印刷し続けることは、紙資源の膨大な浪費です。
これをやめれば紙資源を節約することが出来るだけでなく、配達のためのトラック輸送にかかわる排ガスの削減など環境に与える影響は大きいものがあります。
新聞社は座して死を待つのではなく、攻めの姿勢で「紙からネットへ」の移行を自ら促進することが唯一の生き残り策であると思います。

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