依存体質を持つ日本の教会

「何かがないとやっていけない」というものを皆さんが持っておられると思います。
この「これがないとやっていけない」というものの中には、人を活かすものと、人を滅びへと誘うものの二種類があります。

①段々と活発になって行っているか、段々と尻すぼみになっているかが判断の分かれ目。

「これがないとやっていけない」というものが、その方の人生に張りを与えるだけでなく、本当の成長に役立っているものであるなら何の問題もありません。
しかし外側は活発に動いているように見えるにもかかわらず、内側は段々としぼんで行っているというのなら、これは危険信号です。
筋肉が「隆起する」という場合に二種類のケースがあり得ます。
一つは本当に筋肉が増し加わって太くなっている場合です。
もう一つは内側に膿(うみ)がたまって患部が膨れ上がり、外側から見るとあたかも筋肉が増し加わっているように見える場合です。
この場合は途中まではいい感じで筋肉が成長しているように見えますが、時がくると膿が爆発してしまい、元(もと)の木阿弥(もくあみ)になるどころか肝心の本体までダメにしてしまいます。

②依存的体質とは何か?

もし良い依存と悪い依存があるとするなら、良い依存は依存した人を本当に成長させます。
悪い依存は依存した人を外側は元気にしますが、内側をボロホロにします。
悪い依存の典型例がアルコール依存であり薬物依存です。
いつも元気に振る舞うことを要求されている芸能人や証券業界で働く人々が比較的薬物依存の罠にはまりやすいのは理由があります。
それは人間であれば二十四時間働けるはずがないのに、そうせざるを得ないプレッシャーを感じて、薬物に手を出してしまうのです。
薬物のやりはじめは人が驚くようなアイデアが出たり、オーラを出したりして、本人も薬物を甘く見ています。
しかし薬物依存は依存した人をこのままでは終わらせてくれません。
かならず取り立て人がやってくることとなります。
目はくぼみ、人間関係を維持することができず、社会的不適応を著しく示すこととなります。
ばれていないと思っているのは本人だけで、本人以外のすべての人は薬物をやっていることに気づいているという段階が必ずやってきます。
取り立て人という名前の死神は、依存した人の社会的立場、家族、財産、精神的・肉体的生命を奪っていきます。

③自分は何に弱いかを知っていることが必要です。

あるものがある人にとっては依存の対象になり、ある人にとっては全く興味を引きません。
ありのパパの個人的なお話でお恥ずかしいのですが、ありのパパはテレビ依存症です。
テレビがあると何時間でも見続けてしまいます。
それである時、テレビ依存症であることに気づき、テレビを捨ててしまいました。
家族はそのことを知っていますので、何も言いません。
最近では携帯電話にワンセグというテレビが見られる機能がついていますが、ありのパパはワンセグ付きの携帯電話は初めから購入対象外です(笑)。
これを読んでおられる方の中で「私はこのことに対して依存的傾向がある」というものがおありなら、それが何であれ捨ててしまうことを強くお勧めいたします。

④教会も依存的になることがあります。

歴史や地理的環境によって依存的になる対象は異なります。
我が国の教会に絞って考えてみると、私たちの国の教会はお金に対して依存的になる傾向があるのではないかと考えています。
日本の教会の過去の歴史を振り返ってみると、それは宣教団からの援助の歴史であったということが出来ます。
日本の教会が外国の宣教団体からの経済的援助から独立したのは高度経済成長のときです。
それまでは外国からお金をもらっている手前、そこから派遣されている宣教師に逆らうことが出来ないのでした。
宣教師とうまくやるのは嫌だが、宣教師の後ろにいる宣教団からのお金は欲しいというのは誰が聞いても通らない話しです。
ありのパパは現在の我が国の教会は経済的にはどの国からも援助を受けいていないと思っていたのですが、事実はそうではないようです。

⑤韓国教会からの援助がなければやっていけなくなっている日本の教会の現状。

あるマスコミのインタビューに答えてキリスト教の統括団体のリーダーがお話ししておられました。
「なぜ韓国の教会が日本で問題を起こしているのか?」という誰でも疑問に思う質問に対して、その方は「現在では韓国の教会の助けなしでは日本の教会が様々な面で活動できなくなっている現状があります」と答えておられました。
ありのパパはこの方を非難する気持ちは毛頭ありません。
ただ日本の教会の現状をいみじくも正確に伝えていると思っただけです。
日本の教会はかつては欧米の宣教団体に経済的に依存し、今は韓国の教会に経済的に依存しつつあるのだとしたら、これは深刻な問題です。
ここではあえて「頼る」と言わずに「依存する」と書きました。
皆さんは日本の教会はただ単に韓国の教会に頼っているだけだとお考えでしょうか?
それなら何の問題もありません。
しかし韓国の教会に依存しつつあるのだとしたら、これは薬物依存者の二の舞(にのまい)を演じる危険があります。

◎ただ頼っているだけなのか、それとも依存しているのかは本人には中々わからないものです。
しかし周りの者には一目瞭然(いちもくりょうぜん)であるのです。
外国宣教を韓国教会と一緒にやるというのなら分かります。
しかし国内宣教を韓国教会と一緒にやるなどということは、もう一度考え直さなければならないのではないでしょうか。
どうぞ皆さんのご意見をお寄せください。お待ちしています。

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