カウンセリングとキリスト教

①今から三十年以上前の話ですが、アル中で会社を休職扱いになった方が教会に来ておられたことがありました。

その当時のありのパパはその御方にどのように接したら良いかわからず、ただ側(そば)にいるだけでした。
それは他の教会員も同じでした。
そうこうしているうちに、その方はアル中を悪化させ亡くなってしまわれました。
当時の福音派教会は教会成長運動が入ってくる前でしたので、求道者に対して教会の側から積極的に働き掛けるということをしませんでした。
伝道会などの集会に続けて出席する中で、段々とキリスト教に対する理解を深めるのを待つという姿勢でした。

②しかしこの方には「酒の飲み過ぎで死なないためにはどうしたら良いのか」というところに焦点を合わせたアプローチが必要でした。

ありのパパが所属していた教会の特色である救いの確信を伴う救いの教理も、罪からの全(まった)き聖潔(きよめ)の教えも、この方には役に立ちませんでした。
役に立たなかったというよりも、福音を宣べ伝える私たちクリスチャンの側に、福音をどのように人々に適用すれば良いのかということについての理解が完全に欠落していたのです。
これが現在のありのパパの活動の強い動機付けとなっています。

③人の役に立つ福音とは、どのようなものでしょうか?

それは何者かにならなければならないと思い込んでいる者は、ありのままの自分自身で良いと受け止めることが出来るようになることであり、貧しい者は福音を聞き、病の者はいやされ、将来が見えない者は見えるようになる。
これが力ある福音ではないでしょうか。

◎今年一年、福音の中にある豊かさをますます知ることが出来る者となろうではありませんか。
祝福を祈っています。

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