妄想性人格障害と良心を持たない人々

いよいよ今年最後の文章となりました。
皆さんの一年のご愛読を心から感謝申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします。

ブログのコメント欄や匿名の掲示板で目に余る暴論を、立て板に水のようにまくし立てる人々がおります。
私たちはこのような人たちに対してどのような態度をとることが最善であるのかを考えてみたいと思います。

①議論が深まってきそうになると、どこからかやってきて議論を混ぜ返す人々。

議論に参加している人々は大概(たいがい)まともな方々であり、そのような人々は一見詭弁に見える主張にも良心的に対応しようとします。
しかし却ってそのような対応は議論を混ぜ返すことが目的の人々にとっては思うつぼです。
感情的になって議論しているうちに初めの目的はどこかに忘れ去られ、怒りなどの否定的な感情だけが後に残ります。
詭弁に立ち向かおうとした人々にも、その詭弁を完全に打ち負かせなかったという歯がゆさだけが残ります。

②妄想ということ。

ある人が真実であると言ったからといって真実とは限らないというのは自明の理です。
ましてインターネットという確固とした信を置くことが出来ない場所から得た情報をなぜ安々と信じ込んでしまうのでしょうか?
この部分に異常性を感じます。

小さい妄想から大きい妄想まで様々な妄想があります。
小さい妄想には、職場の人間関係などで誰も悪口など言っていないのに「職場の人たちが私の悪口を言っている」と思い込むなどがあります。
大きい妄想には、アメリカ貿易センタービル爆破事件の真相はアメリカ政府による陰謀であるとか、ユダヤ人勢力の仕業によるものであると考えるものがあります。
こんなことはちょっと考えれば全然根拠のないものであるとすぐにわかりそうなものですが、妄想や陰謀論にうつつを抜かす人々には理解することができません。

③「良心を持たない人々」

このように呼ばれる人々は、人々が苦しむのを見て、ほくそえむという異常性をもっています。
このような人々を反社会性人格障害と呼ぶこともあります。
このような異常性をもっていなければ、たとえ妄想によって根拠のない思い込みをしてしまっても、人々が傷つくことを恐れて行動にブレーキがかかります。
大半の人々はこの領域にとどまっています。
しかし妄想と反社会性人格障害の二つを持っていると、妄想が沸き起こり、それを行動に起こしてしまいます。

コメント欄や掲示板などで支離滅裂な論をぶっ放す人たちの中には反社会性人格障害者がいると考えています。
2チャンネルなどでの議論の推移を見ていても、まともなことを言う人は支離滅裂な独りよがりの論をとうとうと述べる者にあきれ果てて途中退場し、最後まで残っているのは異常人格者だけという場合が多いように見えます。
本当は見捨てられたのですが、本人は議論に勝ったと錯覚しています。

④私たちはこのような人たちに、どのように対処するのが最善であるか?

a.まともに議論の相手をしないことです。

また名誉棄損や人権の侵害に当たるような表現があれば警察に通報することも考えに入れなければなりません。
今の時代に完全な匿名などというものはあり得ません。
プロバイダはIPアドレスから本人を必ず特定することが出来ます。

b.彼らは人を非難するのは馴れていますが、人から真っ当に批判されることには馴れていません。

彼らは匿名の掲示板で独りよがりの論をぶっ放すだけぶっ放していますので、自分は議論に強いなどという全く根拠のない自信を持っています。
それで公平にジャッジされるような場所で議論すると、まともに反論することが出来ません。
ですから彼らと議論するときは、彼らの主張のうちにある矛盾や弱点をつくだけで良いのです。
そうしたら彼らは自壊し、すごすごと消え去っていくほかはなくなります。

c.このような訳で、詭弁を弄する相手にはまともに相手をしないというのが最善であることがわかります。

このように言うと、必ず「そうは言っても心を尽くして話せば、彼らもわかるのではないか?」と言う人がおります。
このように言う人には「イエスはパリサイ人に対してどのような対応をされましたか?これを私たちのお手本とすることです」と答えます。

◎若い人々は議論に勝つことに真剣になります。
でも歳をとると、議論に勝っても得なことは何もないと悟ります。
「金持ち喧嘩せず」と言います。また「小犬が吠えても列車は走る」とも言います。
無益な議論に時間をとられるより、私たちは主の働きに力と心を注ぎたいものです。
祝福を祈っています。

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