イスラエルの最初の王サウルの弱点だった人の目を気にする村社会意識

聖書を日本人的視点で読んでいると、さほど悪い人には見えない者がくそみそに言われていることがあります。
それがイスラエルの最初の王サウルです。

①人間的視点で見ると「待てない」

サウル王の弱点は「待てない」ということでした。
預言者サムエルが「なぜ待てなかったのか?」と聞くと、「状況がそれを許さなかったのです」とサウルは答えます。

いくら状況が切迫しているからといって、やって良いことと悪いことぐらいの区別はつきそうなものなのにと思います。
しかし同時に日本人であるなら「その気持ち、わかる」と感じるのではないでしょうか?

預言者サムエルは七日間待てと言いましたが、七日経っても現れませんでした。
イスラエルの軍隊は王を不信任する兆(きざ)しを見せているし、敵の軍隊は集結していました。
確かにサウルの言う通り状況がそれを許さなかったのです。
しかしその言い訳は神の前では通用しませんでした。

②苦難に遭う時にその人の本心が暴露される

なぜ待てないのかというと人の評判を恐れていたからです。
『彼らは神よりも人の目を恐れた』と聖書にある通りです。
何も起きてない平常時において神の戒めを守ることは比較的容易です。

しかし神の戒めを守ることが自らの決定的な不利益につながる場合は葛藤(かっとう)が私たちを襲います。

戦前の我が国教会は教会内で天皇の写真(御真影)を拝むという偶像礼拝を行い、神道(原理主義政府)の管理下に入ることを意味する日本キリスト教団に加入しました。

美濃ミッションの日曜学校生徒が神社参拝において一人だけお辞儀しなかったときも援護するキリスト教団体は一つもありませんでした。

ホーリネス教会牧師が再臨信仰のために弾圧された時、日本キリスト教団は「ありがたいことである。御(ぎょ)しがたい狂信者集団を取り除いてくださって感謝である」とまで述べました。

これらはみな自分自身に不利益が及ぶときには神に従うことをやめてしまう人の性質をよく表しています。

③人の目を世界一気にする日本人

私たち日本人ぐらい人の目を気にし、人の目を恐れる民族はいません。
欧米のジョーク集の中にこういうのがあります。
豪華客船が転覆しそうになり乗組員がお客さんに救命ボートに乗るように言います。

その際、日本人客に何と言って説得したかというと「他の皆さんも、そうしておられますよ」と言ったというのです。
そうしたところ、その日本人客は血相かいて一目散に救命ボートに乗り移ったというジョークです。
これは欧米人が我々日本人をどのように見ているかということの現れでもあります。

④人の目を気にする村社会意識

誰にでも「人の目を恐れる」心があります。
人の目を恐れるとは他人が自分についてどう思うか、どう言うかを恐れるということです。
そしてその恐れに束縛されて自らの行動が制限されてしまうことを言います。
ありのパパの心にも人の目を恐れる傾向があるのを認めないわけにはいきません。
なぜ人の心に恐れがあるかというと村社会意識からきています。

⑤問題に気づくことが解決のスタート

サウル王の問題は自分の弱点が「人の目を恐れている」ことにあるのを気づけないことでした。
そのためいつも的外れな言い訳に終始しました。
いわく「人々に問題があります」とか「仕方がなかったのです」とか、常に問題を自分以外のところに見つけようとしました。

彼はびっくりすることに死に至る際(きわ)まで人の目を気にしました。
「私が異邦人に殺されたと人に思われるのは嫌だから、どうか私を殺してくれ」と自分の部下に懇願したところによく現されています。

もしサウルが自分自身の問題がどこにあるかを気づくことができたなら、彼は自分の弱点をコントロールできたでしょう。

人は問題に気づけない間は問題に振り回されますが、問題に気づくことさえ出来ればある程度コントロールすることが可能です。

問題の解決はまさに自分自身のうちに問題があることを気づくことから始まります。
さらに問題をコントロールするというところから、問題から解放されるところまで成長することが出来ます。

人の目を恐れない人は自由に生きることが出来ます。
すべての人は人の目を恐れる束縛から自覚的に解放される必要があります。

サウル王の教訓は私たちのためのものです。
私たちも「人の目を恐れる」村社会意識から解放されて生涯を全うしたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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