預言者サムエルの母ハンナ

今日は皆さんとご一緒に、預言者サムエルの母であるハンナについてみていきたいと思います。

①カウンセリング的な視点で旧約聖書を読み解いていくと大変興味深い点があることに気づかせられます。

たとえばサムソンの両親についての聖書の記述を読むと、両親共に「どのように育てたら良いかわからない」と言っています。
もちろん誰も子育てに対して自信満々である人はおりません。
ただそれも程度問題で、自信がないというところを超えて、恐れを持っているような状態で子育てをすると子供に悪い影響を与えることがあります(全ての場合にそうであると言っているのではありません。そのような可能性があると言っているのにすぎません)。
サムソンの病的な性的依存症は両親との関係が原因になっているのではないかと、ありのパパは考えています。

②ハンナは自分に子供がいないことを大変気に病んでいました。

これには二つの理由があります。
一つは子どもを産めない母親に対する社会的圧力です。
我が国でも戦前は、子供が産めないということは、その家の跡取(あとと)りを産むことが出来ないということであり離縁されてしまうことがありました。
もう一つの理由は女性自身が子供を産むことに対して、それが出来て一人前という考えを持っているからということが言えます。
聖書には『(ハンナは)子供のいない寂しさをどうしようもなかった』[Ⅰサムエル1:5]とあります。
ハンナには自分を愛してくれる夫がおりましたが、それでも子供のいない寂しさを解消することは出来ませんでした。
厳しい言い方をしてしまうと、この時点でのハンナは自律していない女性であり、依存的な傾向を持つ女性だったのではないでしょうか?

③ハンナの夫にはもう一人の妻がおり、その妻からいじめを受けていました。

ありのままの自分で良いと自分自身を受け止めて生きているなら「子供がいない」ということで意地悪を言われてもさほど堪(こた)えません。
しかし「子供がいない自分は不合格である」というセルフイメージを持っているなら、その点をずばり突いてくる言葉は心を突き刺します。
もう一人の妻がなぜハンナをいじめたかというと、それは夫が本当に愛しているのは自分ではなくハンナであることを知っていたからではないでしょうか?
もしそのことをハンナが分かっていたら、ハンナはいじめを受けてもメソメソシクシク泣くことはなかったでしょう。
かえって「あぁ、あの人かわいそうに。自分が愛されていないのを知って、それで私に鬱憤(うっぷん)を晴らしているのだな。よし、こうなったら徹底的にあの人の鬱憤を受け止めていこう。そうすることによってあの人にも神様の愛が分かるように祈ろう」と考えることが出来たのではないでしょうか。

④ハンナの夫は「あなたには子供がいなくても、私がいるではないか」[Ⅰサムエル1:8]と言いました。

ハンナは「たとえ子供がいなくても私は私であり、ありのままの私が神に愛され受け入れられている」と考えることが出来ませんでした。
しかしここで重要なのは次の点です。
私たち日本人クリスチャンですと、たとえありのままの私で良いと思えなくても、思えた振りをすることがあります。
これはいけません。
なぜならそのように振る舞っている間は決して癒しの業(わざ)が進まないからです。
かえって無理やり絆創膏を張られたしまった傷は膿(う)んでしまい化膿(かのう)する危険があります。
ハンナはそのようなとき、どうしたでしょうか?

⑤ハンナは心の重荷をおろすことが出来るまで、主に祈り続けました。

心の中にある悩みを主に申し上げることは大切なことです。
それも祈ったつもり、聞いていただいたつもり、かなえられたつもりではいけません。
しっかりと主に祈ることが必要です。
そうしたら主が必ず心の重荷を取り去ってくださいます。
『このとき以来、彼女の顔はもはや悲しげではなくなった』とある通りです。

◎「こんな自分ではダメだ」と思っているなら、理想的な自分を演じないことです。
ありのままで生きるとは、理想的な自分を演じることではなく、そうできない自分をありのままに主に申し上げることなのです。
祝福を祈っています。

スポンサーリンク

コメント

  1. nono より:

    はじめまして
    12年目クリスチャン。現在アッセンブリーの教会員です。
    先月、ひょんな事から自分がACだと知り、このブログに辿り着きました。
    先日より12ステップを始めています。
    自分がACで、しかも両親もACだったんだな~と気付いただけでもずいぶん心が軽くなったように思います。
    まだまだ回復は始まったばかり・・これからもよろしくお願い致します(^.^)/

    私はとてもセルフイメージが低いです。
    理想的な自分を演じる・・・。自然に身に付いた「これ」が今まで私自身をとても苦しめていたので、「罪はすべて赦され、今は祝福の中にいるんだよ。出来なくてもありのままが、イエス様から愛され、受け入れられているんだよ」と自分自身に語りかけています。

    しかし私は、「出来ないから・・」と逃げていたことの責任を今現在とらねばいけないところにいて、しなければいけない事のあまりの多さに、手も足も出ず・・・。
    なかなか「こんな自分ではいけない」と思わないってことが難しいですね。

    毎日、できることを神様に委ねながら一つずつ実践しようと思っているんですが・・。
    甘えなのか?怠惰なのか?神様が一緒なら必ず出来る!と信じてないのか??
    現実逃避な自分にまた落ち込んだり・・・。

    神様のみ力を信じて立ち上がっていけるように、と祈っています。

    • arinopapa より:

      こんにちは、nonoさん。
      初めてのコメントをありがとうございます。

      〇ご自分がACであるとの気づきを得たとのこと。
      これで問題は半分解決したようなものですね。
      カウンセリングでも、カウンセリングを受けることを決断できた段階で問題は半分解決したようなものであると言われます。

      〇もしnonoさんが神様に委ねながら一つずつ実践しようとして、その結果それが実践できたら「どんなもんだい!出来たぞい」と思わないでしょうか?
      それは私か!(笑)。
      冗談はさておいて、無力を認めるとは、出来ない自分を認めることです。
      どんな手段を使おうとも、もし出来てしまったら、それは無力を認めているとは言いません。
      ただ一人芝居を演じているのに過ぎません。
      ですからしっかりと十二ステップのステップ1の「無力を認める」を踏むことです。
      しっかりとステップ1を踏むことが出来たら、ステップ2の「しかし神様になら、こんな私であっても回復させてくださることが出来ると信じる」を踏むことが出来ます。

      祝福を祈っています。
      ありのパパより

  2. nono より:

    お久しぶりです。 nonoです。
    あれから随分と時間が過ぎ、いろんなところを歩きまして、今日はまたご相談です。

    妹がイエス様を信じて救われました。
    同じACとして育ち、生きてきた家族が救われたことは、本当に喜びです。

    また、私たち以上に親に苦しめられた過去を持つ母も今は「『何か』にすがって助かりたい!」と願い、一緒に教会に時々通ったり、牧師の訪問を受けて少しづつ聖書を学んでいってます。
    母がイエス様によって苦しみから解放される日を楽しみにしています。

    ところで、妹がクリスチャンになったことで、今までの生育(歴)についてよく話をするようになりました。
    そして、あの頃〔初めてここにコメントした頃〕には苦しかった胸のうちが随分と癒されていることにも気づきました。
    二人で、両親のこれまでの苦しみを気の毒に感じ、どうにか救われてほしいと心から願うようになりました。
    妹と自分の今までの困難と、それによって生きづらかった人生と、互いの癖や本音の部分をさらけ出して口にして振り返るうち、またなお一層癒されていくのを感じています。

    12ステップを始めた時、やはり4がネックでした。
    実際、紙を出して書き始めてみたのですが、とにかく自分を振り返って見るのが精神的にきついし、なんか素直になれなくて紙に書くことをやめて頭で何気なく振り返る程度で次に進んでしまいました。
    でも、何気にぼんやりとしか認識してないので、祈りも具体的にはならず〔自分では気づいてなかったけど〕結局ぼんやりとしか回復せず、なんか曖昧な感じで、この日まで来ました。

    確かにイエス様と歩んでいく中で、弱点や心の傷に気付かされたり、癒しや回復がなかったわけではないのですが、まだすごい苦しみの中にいる母を見守る中で、ふと私自身の信仰の歩みにも「その思考」をまだ解決をしていないが故に、苦しんで行き詰まりを感じていることにふと気付かされ、「どう考えても12ステップを真剣にやらなければ前に進めない!やり直してみよう!」と思うようになりました。

    特に心の棚卸しは、徹底的にしようと思っています。
    今日は恨みについて色々書いてみました。
    なんか、結構スラスラ書けたようです。
     でも後で読んで見ると・・そういえば両親のことを書いてないんです。
    他のち〜さなことから大きなことまでは、あれもこれも!と書きましたが、どう考えてももう両親を恨んでないというか???
    確かに、妹と話しながら当時のこと思い出して泣けて来たりはしますが。
    でも、あえて書くことがないというか、恨んでないというか・・・。
    解決済みのハンコを押したようなそんな気持ちでもいるんです。

    それはどういう風に考えたらいいのでしょうか?
    確かに苦しみの大元は親のACの影響です。
    ただ、今は両親とも会話する時間も持つのが苦ではないし、実の母親に心から甘えられなかった私の母が、いちいち、いろんなことに反応する姿が可愛そうに思えて来て、なるべく母が今の家族には、せめて甘えることのできる環境作りをしてあげたいなとも思っています。

    やはり書き出す必要はあるのでしょうか?

    ところで紙にかいてみると、なんか面白い思考のサイクルみたいなのが見えて来て、自分のやり口が少し透けて見えたようにも思いました。

    長くなりましたが、またよろしくお願いいたします。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、nonoさん。
      コメントをありがとうこざいます。

      とても良いご質問をいただき感謝します。
      近日中にブログ記事としてアップさせていただきます。

      ブログ記事がアップされましたら、またコメントしてください。お待ちしています。

      • nono より:

        こんばんは。
        じっくり読みながら、考えました。
        過去をしっかり掘り起こしたい!と思います。
        そして自分が感じてることを大事にして書き出し、一つ一つ丁寧に紐解いて回復を目指したいです。

        ただ、ACになったことも、神様が善いことの為に用いてくださるという希望が、本当に嬉しいし、それだけが頼りです。
        感謝します。
        ミーティングにも参加したいのですが、近くにないのと、仕事の関係とかでなかなかいけない状況ですので、また順次ご相談させてください。

        よろしくお願いします。

        まずは、時間かけて掘り起こしたものを書いていこうと思います。

        • ありのパパ より:

          こんにちは、nonoさん。
          コメントをありがとうこざいます。

          お返事が遅くなりましたが、今日のブログ(2017/02/14)に掲載いたしました。
          どうぞ、お読みください。