何をしても救いの確信がなかった青年

今日は皆さんとご一緒に、金持ちの青年とイエスの会話を見てみたいと思います。
マタイの福音書19章16~22節にその様子が記されています。

①人には各々(おのおの)特有の弱点というものがあります。

ある人はアルコール依存症であり、ある人はニコチン依存症であり、ある人は倒錯的な性的欲求の依存であったりします。
この金持ちの青年の弱点は金銭に対して度し難い執着をもっていることでした。

②律法を守ることによって救いに到達するという教えの特徴は、そのうちの一つでも守れないなら失格になってしまうということです。

だからこそ何人(なんぴと)も律法を守ることによっては決して救いに到達することが出来ないのです。
この事実を青年に気づかせるためにイエスは「自分の財産を全部売り払って貧しい人々に施しなさい」と言われました。
イエスの投げかけた言葉が光となって青年の心のうちを照らしました。
青年は普段から「この問題さえなければ自分は合格点なのだが」と考え、苦しんでいたのではないでしょうか。

③多くのクリスチャンも同様に熱心に信仰生活を送りながら、心の中で「この問題さえなければ私は胸を張ることが出来るのに」と思っていないでしょうか?

「これさえなければ」と思うということは行いによって救われようとしているということです。
恵みによって救われる道とは、「私はこれがあるから自分の力では救われることができません。今、自分の中で握っているものを手放してイエスの十字架におすがりします」と言うことです。

④この青年は自分が「救われていない」ということを知っていました。

少なくとも「救いの確信」がないことを自覚していました。
だからこそイエスに「救われるためにはどうしたら良いですか?」と聞くことができました。
多くの人々の問題点は「自分が救われているかどうかに関心がない」ということです。
律法主義丸出しのこの青年に対してイエスのまなざしが優しく感じるのは、この青年にとって「救われているかどうか」が人生の関心事になっていたからだと思います。

⑤果してこの青年は「律法を守ることによっては決して救われ得ない」という事実に気づくことが出来たでしょうか?

聖書には「悲しみながら、その場を去って行った」とあり、この青年の決断を暗示しているかのようです。
しかしありのパパは次のような理由で、この青年は結局イエスが下さる救いを手に入れたのではないかと推測します。

a.この青年にとって「救われているかどうか」ということが人生の関心事であった。

b.律法規定を守ることに熱心であったので、財産についての律法規定についても熟知していたと考えられる。

c.何よりもイエスのこの青年に対する優しさは、この青年の中にイエスが希望を見いだしていたことを示している。

◎この金持ちの青年の物語を昔話として受け取ってはなりません。
これは私たちクリスチャンに対する警告であるのです。
ただし、冷たい鞭のような警告ではなく、イエス様の優しいまなざしから発せられる戒めです。
私たちは熱心になって悔い改めようではありませんか!
祝福を祈っています。

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