イースト菌なしでは教会は膨らまないが間違ったイースト菌に注意!

イエスのパン種(イースト菌)についての教えを見ていきます。

1.イースト菌が入っていないパン

①パン作りをよく知っておられたイエス様

パンを焼くときイースト菌を入れ忘れたことがありました。
そのとき「おかしいなぁ~」と訝(いぶか)しんだのですが、気がついたときには只の小麦の固まりの焼物になっていました。

それでも食べようと思えば食べれないことはありませんが、ありのパパはそのようなものを毎日食べようとは思いません。
小麦の他に砂糖やバターや塩が必要ですがイースト菌がなければパンにはなりません。

イエス様はよくイースト菌のことを知っておられたなとありのパパは思います。
仕事が忙しかったマリアさんに代わってイエス様がパン作りをしておられたのかもしれません。

②教会にもイースト菌が必要

教会にイースト菌が入っていない場合、教会はいつまでたっても膨(ふく)らみません。
これは質的にも量的にも言えることです。
質的とはいつまでも経ってもクリスチャンがクリスチャンらしくならないで一皮むけば未信者のままということです。
量的とは何年経っても同じ顔ぶれのままで代わり映えがしないということです。

2.パリサイ製のイースト菌とは?

①エルサレム教会のバックスライド

パリサイ主義とは律法主義のことであり、律法主義とは律法を守ることによって救いに到達しようとする考えのことです。

律法を守ることによっては誰も救いに到達することはできないと悟った者が十字架を信じることによって値なしに救われる恵みをいただきました。

ですから救われた者がもう一度律法によって救われようとすることはあり得ないことです。
しかし人間とは弱い存在であり、頭では分かっていても体がついていかないということがあります。

体がついていかないとは慣習に支配されるということです。
律法が与えられた目的は救いに到達するためでした。
しかし今やその律法によっては救われることができず、十字架の恵みによってのみ救われると知りました。

ですからもう儀式律法を守る必要はないのですが、ユダヤ人の慣習となった儀式律法をエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンは守り続けました。
まさにイエス様が警告された通りのことが現実に起きました。

ペテロをはじめとした弟子たちはエルサレム教会の律法主義への逆戻り(バックスライド)をどのような目で見ていたのでしょうか。

②律法主義はどんな形で教会に入ってくるか?

パリサイ人のパン種が膨らむと、教会は恵みを失い、信徒は救いを失います。
パン種が膨らむとは律法主義が教会に充満するということです。
教会の中で律法主義が充満するとき、大体において福音よりも慣習を優先するという形で教会の中に入ってきます。

日本の教会で良く聞かれるのが「証が立たない」とか「つまずきになる」という言葉です。
それで外面的な振る舞いに気をつけるようになりますが、これは往々にして演技するクリスチャンへと信仰者を変質させることになります。

3.サドカイ製のイースト菌とは?

①サドカイ派の主張とは?

サドカイ派の人々の主張は一言でいうと世俗主義です。
霊魂不滅の否定・死者の復活の否定・天使の存在の否定がサドカイ派の主張ですが、重要なのはどのような目的でこのようなことを主張したのかということです。

②世俗主義とは何か?

世俗主義とは信仰は心の世界だけにとどめておいて、世の中のことは世の中を支配する原理で対処しようとする思想です。
結局これは信仰者が世の中に流され飲み込まれることになります。

イエスはクリスチャンを「あなたがたは世の光・地の塩です」と言われました。
これは信仰を内面にとどめないで世の中に向かって大胆に宣証しなさいということです。
ということはイエスの教えは世俗主義とは正反対のものということになります。

③教会にサドカイ派のパン種が充満するとどうなるか?

世の終わり(終末)についての理解はあやふやなものとなり、教会は再臨を待ち望まなくなります。
その代わりに世における成功を唯一の価値あるものと見なすようになります。

教会が持っていなければならないパン種とは何でしょうか?
それは自分自身をありのままに愛し、自分自身を愛するように隣人を愛するというパン種です。
このパン種だけが教会にふさわしいものです。
私たちお互いはどのようなパン種を持っているかに注意したいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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