100日で変われる秘訣

今日のテーマはなんだか嘘くさいですが、内容はまじめなものですのでご安心ください(笑)。

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①間違った振る舞い

私たちは良い人になろうとすると、演技をしがちです。
良い人を演じるのは疲れますのでストレスが溜まり、いつかはストレスが爆発することになります。
ある人々は爆発すると悔い改めてもう一度はじめからやり直します。

②成長するために私たちがすべきこと

成長そのものは神様がしてくださることです。
私たちの役目は土を耕(たがや)して、良い地とすることです。
良い地とするとは、畑の中にある石ころや雑草を取り除くことを意味します。
では私たちの心の中にある石ころや雑草とはなんでしょうか?
それは恐れ・恨み・自己中心・配慮のなさなどです。

③性格的欠点を取り除くと、本来の自分の良い性質が表に出てくる

人の基本的欲求は三つあります。
所属欲求と安全欲求と性的欲求です。
所属欲求が満たされないと、人は恨みを持つようになります。
安全欲求が満たされないと、恐れを持つようになります。
私たちはともすれば恨みや恐れのみを取り上げて、恨みと恐れそのものを処理しようとします。
しかしこのような試みはうまくいきません。
なぜなら恨みや恐れを抱くようになったのには、それなりの理由があり、その訳を理解せずに結果としての恐れを何とかしようとしても解決しないからです。
私たちが恐れや恨みから本当に自由になろうと思うなら、なぜ恐れや恨みを抱くようになったのかを探らなければなりません。

④恐れを取り除けば、勇気が戻ってくる

幼年期に安全欲求が満たされないと、成人してから恐れに悩まされるようになります。
恐れはおもに人間関係の中に表されることになります。
過度に人に対して依存的になったり、またその反対に極端に人を拒絶したりするなどは、恐れが原因となっていることが多いようです。
恐れだけを取り除こうとすると、空(から)元気を装(よそお)うことになりがちです。
普段は勇気があるように見えても、ここ一番というときに膝がガクガク震えてしまうということになります。

本当に恐れを取り除こうと思うなら、なぜ恐れを抱くようになったのかを探らなければなりません。
自分の人生のどこで安全欲求が脅かされたのかを知ることが必要です。
それが分かればその場面にイエスに来ていただき、自分がひとりぼっちで恐怖していたときもイエスが共にいてくださったことを再確認します。
そうするなら自分の中から恐れは出て行きます。
恐れが出て行くと、自然に勇気が自分のうちに戻ってくるのを感じるようになります。

⑤恨みを取り除けば、愛が戻ってくる

私たちは日常生活の中で思いも掛けず自分自身が人を恨んでいるのを気づくことがあります。
抑圧の強い人は「私は人なんか恨んでません!」と力みますので、恨んでいるのが丸分かりです(笑)。
何故恨みを持つようになったかと言えば、それは所属欲求が満たされなかったからです。
所属欲求とは、幼年期についていえば両親からありのままに受け入れられることを指します。
少年期でいえば友人たちに受け入れられることを、青年期でいえば社会からの承認ということになります。

恨みを手放すためには、何故自分が恨みを持つようになったのかを知ることが必要です。
恨みを持った原因がわかれば、恨みを手放すことが可能となります。
なぜなら恨みを持っていても良いことは少しもないのを知っているからです。
恨みを手放すことさえできれば、何をしなくても自然に自分自身のうちに愛が回復しつつあるのを知るようになります。

◎今日の文章は「回復の『ステップ』」という本からありのパパが教えられたことを書きました。
どうぞ皆さんも、この本から教えられたことをコメント欄に書き込んでください。
お待ちしています。

コメント

  1. 加世 より:

    ありのパパさん、こんばんは。
    ブログが再開されて嬉しいです。

    今日の記事を読んで、「これをしたい!」と思いました。
    最近、自分の勇気のなさにも、
    神に対して、人に対して、また自分に対しての愛のなさにも、
    ひどく疲れを覚えていたからです。

    自分の記憶と思いを探るのは、自分と神様、聖霊さまの導きによって
    するのが最も良いですか?
    わたしは、幼少期、児童期の記憶がすっぱ抜けている部分があります。
    中学生のころには、もう思い出せず、
    カウンセリング等で無理に思いだすと頭が痛くなるので、やめてしまいました。
    今回の病気の原因になったこと、辛いことを思い出すと、
    動悸がしたり、ひどいと熱を出すので、考えないように逃げていました。

    恨みにも恐れにも悩まされています。
    愛することができる人になりたいです。
    そのためには、具体的に、どのように記憶にイエスさまをお迎えすればいいでしょうか。
    祈りの中で考え、思いだそうとすることでしょうか。

    ありのパパさんがいつも本質的なことを書いてくださることで、
    変わろうとするきっかけを与えて頂いています。
    心から感謝します。

    • arinopapa より:

      加世さん、こんにちは。
      コメントをありがとうございます。

      「自分の記憶と思いを探る」とありますが、なるべく詮索するような態度を避けるのが良いと思います。
      それとさかのぼろうとしないことです。棚卸は自分史を書くことではありませんから。
      12ステップにおける棚卸は、今現在恨みに思っていることや、今恐れていることを紙に書き出していく作業です。
      ですから過去の出来事は第一義的には重要ではありません。

      イエスをどのようにお迎えすれば良いかということですが、一人っきりで恐怖におののいていたときにもイエスは共にいてくださったことを気づくことです。
      この気づくというのは、あたかも映像を見るかのようにその場面を思い出し、その中にイエスがおられるのを見るのです。
      これは私個人の体験がそうであったということであり、誰にも適用できることかどうかは分かりません。

      よろしくお願いします。
      またコメントしてください。お待ちしています。