決して赦されない罪とは?

聖書にある「決して赦されることのない罪」という教えに怯(おび)えているクリスチャンが少なからずおられるのではないでしょうか?
ありのパパもそのような者の一人でした。
気づかずに「決して赦されない罪」を犯してしまい、死んでから天国に入るときに「お前は『決して赦されない罪』を犯したからダメ」とシャットアウトされたら困ると思っていました。
そこで今日は皆さんとご一緒に「決して赦されることのない罪」とは一体何なのかを明らかにしたいと思います。

①『全ての罪と神様に対する罪は、悔い改めれば赦していただけますが、なおも故意に聖霊に逆らうことは決して赦されません。』[マタイ12:31](現代訳聖書)

この御言葉を文字通りに受け取ろうとすると、意味不明になってしまいます。
そこで注意深く釈義する必要が出て来ます。
まず「全ての罪は悔い改めるなら赦していただける」とありますから、そこに例外がないことを知ることが出来ます。
「これだけはダメだぞ!」という罪はないのです。
では「故意に聖霊に逆らう罪」とは一体何のことでしょうか?
それは人には良心というものが与えられていますが、その良心の声を聞こえない振りをして、欲望のままに自分勝手に生きることは赦されない罪であるという意味ではないかと、ありのパパは考えています。

②『わたしに対して言い逆らう者は悔い改めれば赦していただけますが、聖霊に逆らうことを言う者は永久に赦されません。』[マタイ12:32]

イエスに言い逆らっても悔い改めるなら赦していただけるとは、なんと幸いなことでしょうか。
クリスチャンは時々納得していなくても、それがイエスの御心であると思うと自分の本音を抑圧して従う振りをするときがあります。
このようなことは厳密な意味においては罪であり、イエスが悲しまれることです。
イエス様と(祈りを通して)トコトン議論して良いのです。
またそれがイエス様が願っておられることでもあります。

では「聖霊に逆らうことを言う」とはどんなことを指しているのでしょうか?
それは多分、2チャンネルでよく行われているような自らの主張に責任を持たない、気持ちのおもむくまま人の名誉を傷つけたり、論理的に支離滅裂なことを言い募るような行為を指しているのではないでしょうか?

③カルト教会の牧師が明々白々な事実が明らかになっているにもかかわらずシラを切り続けることも、この罪に当たります。

ある牧師は、女性信徒を膝の上に載せて愛撫することが、世界標準のスキンシップであると強弁しました。
世界のどこの教会にもそんな習慣は存在しません。
ただサタンがその牧師を惑わしているのに過ぎません。

④続けて罪を犯してしまうことは、聖霊に故意に逆らう罪ではありません。

もしそうであれば、多くのクリスチャンは天国に行けないことになってしまいます。
どんな人であっても、罪を犯しがちな存在であるのです。
ですから聖書は決してそのようなことを言っているのではないことは明らかです。
良心の弱い人々(もしくは良心が過敏すぎる人々)は、心配しなくても良いことまで心配して、余計な重荷を背負います。

⑤問題の核心は日常生活にあります。

日々の小さな出来事に対して忠実であることを求められています。
たとえばあなたは買い物をして釣り銭を間違えて多くもらったとき、その余分にもらったお金を返しているでしょうか?
まさか「やった~。ラッキー!」などとは思っていないでしょうね(笑)。

仕事上のことでも、決して不正を行ってはなりません。
また税金も不正な手段で免れようとしてはいけません。
結局、そのようなことに手を染めてしまうと、これから頂こうとする神の祝福を受け取ることが出来なくなってしまいます。

◎決して赦されない罪とは、内にいます御霊が小さき声でささやいてくださる御声を無視することです。
「悔い改めるように」との聖霊の導きを拒絶する者は、決して赦されることがないのです。
私たちお互いは心したいものです。

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