バプテスマのヨハネとイエスの共通性と違い。そこから現代を見ると?

良からぬ噂が流れた時に私たちは直接本人に確認するのをためらうことがあります。
しかしバプテスマのヨハネはそのようなことをせず、直接自分の弟子を遣わしてイエスに尋ねました。

        

①なぜヨハネに迷いが生じたのか?

多分それはバプテスマのヨハネの宣教活動が政治色を強く含むものであったことが影響していると思います。
ヨハネは政治指導者の道徳的な問題を攻撃した結果、牢獄に繋がれることになりました。
ヨハネにしてみれば、それに呼応してイエスが新しい動きを見せるのではないかと考え期待したと推察します。

しかしイエスはそのようなヨハネの期待を知りつつも独自の宣教活動を押し進めました。
なぜならイエスにはご自分の生涯の目的が明確であり、その最終目標に向かって前進するのみであったからです。
それは十字架に掛かるという聖書に預言された神の救いの計画を完成させることでした。

        

②イエスはヨハネの宣教活動に歩調を合せなかったが活動を受け入れていた

マタイ福音書11章12節に『バプテスマのヨハネが宣教を開始してから、ここ二・三年の間は天国が力強くこの地上に入って来ています』と言われておられることからも、このことは明白であると思います。
ですからバプテスマのヨハネの政治色の強い宣教活動をイエスがお認めになられていなかったということは決してできません。

18世紀イギリス・メソジスト教会は奴隷制度廃止の国会誓願を行い、奴隷制度を廃止させました。
現代のトランス・フォーメーションも福音の宣教を通して社会の変革を求めるものです。
このように福音の宣教にはある時には政治的関わりを避けることが出来ないときがあります。
真のリバイバルの炎が燃え盛っているときには教会の政治的良心も覚醒されるものです。

        

③グラハム氏の伝道大会のこと

この方はイラク戦争において原爆や水爆・細菌兵器などの最終兵器と呼ばれるものを使うことを躊躇すべきではないと言っています。
リベラル派教会の人々は彼の政治的発言を捉えてグラハム大会そのものに反対をしておられます。
それに対して福音派教会の人々は彼の政治的発言を問題にする雰囲気さえありません。

グラハム氏の問題は非倫理的な最終兵器を用いて大量殺人を公言する人が片方では永遠の命を得るようにと勧める伝道活動を行っているところにあります。

これはタチの悪いマッチポンプです。
片方で人を殺し、もう片方で「死んでも天国に行けるようにイエス様信じようね」と言っているようなものです。
このような人とかかわることは御霊なる神を悲しませ、御霊を消すことに繋がり、教会から聖霊の臨在を追い出してしまうことになります。

このような訳でグラハム氏が政治的意見を変更することがない限り、グラハム大会を今後開くべきではないと考えます。
これについて皆さんは如何お考えでしょうか?

        

④人々の批判に良心を閉じてはならない

過ちを犯すときは私たちが気づきを持っていないときであると多くの場合に言えます。
正しいと思ってやっていることの中に決して見過ごすことが出来ない誤りが含まれていても気づくことができません。

たとえば牧師のリーダーシップを認めない教会が多い反省から、牧師に強い権限を認めることを許容する流れがありました。
これが文字通り牧師のリーダーシップを認めるだけなら良かったのですが、中には教会員の人権を侵害するまでに牧師の権限が強化されてしまうという事例が散見されました。

そして教会から追い出された人々によって教会の有り様に対して鋭い批判がされると、御霊の導きによって非難に対応するのではなく、生まれつきのままの肉的対応がなされました。
即ち「意見が違う人は出て行ってもらって結構です」とか「あの人は悪霊にやられてしまった」とか全く聖書に根拠がない対応がされました。
このような対応をする教会は既にカルト化していると言わなければなりません。

私たちが地上で行うあらゆる告白は神の御前で行っているのと同じです。
それを忘れないようにしたいと思います。

◎平安と祝福を祈っています。

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4 Replies to “バプテスマのヨハネとイエスの共通性と違い。そこから現代を見ると?”

  1.  私もありのパパさんに賛成です。
    フランクリングラハムさんは、そのように言っているのですね。
    そうだとするなら、彼には広島の原爆記念館をまず訪れてもらいましょう。

     フランクリングラハムさんは、広島、長崎への原爆投下で二十万人以上の命が消え、未だに原爆症で悩む人々がいることを知っているのでしょうか。
    人類は、広島、長崎の悲劇をもう繰り返してはいけない、これは、私たち、日本人が子々孫々に伝えねばならないことだと思います。
    原水爆使用を公言してはばからないような人物を日本のキリスト教界は受け入れてはいけないと思います。

     「グラハム氏が政治的意見を変更することがない限り、グラハム大会を今後開くべきではない」というありのパパさんのご意見にアーメンです。

  2. コルさん、こんばんは。
    コメントをありがとうございます。
    お久しぶりです。お元気でしたでしょうか?

    神がアメリカ人と日本人の神であられるように、同時にイラクの人々の神でもあられます。
    そのイラクに対して大量破壊兵器を使うことを進言する人と連携する教会に、神が恵みをたもうはずもありません。
    自分のことしか考えない教会に「神が共にいて御言葉を堅うしてくださる」ことはあり得ないのではないかと思います。

    日本の教会が、信仰を内面の問題にのみ限定する傾向から脱するようにと願います。

    またコメントしてください。お待ちしています。

  3. ありのパパさん、こんばんは。

    ブログがリニューアルされて、さらに読みやすくなりましたね。有難うございます。
    全文読破中の私には、ワンクリックで次のページに行けるので、超便利になりました。

    昨年の11月の日本武道館のグラハム大会は盛況だったようですね…。

    ところで、翻訳が正しいかわかりませんが、ビリー・グラハム師の異端的発言が新年早々、動画投稿サイトにアップされているようですね…。事実なら残念です。

  4. おはようございます、マッキーさん。
    お寒いなか、出勤ご苦労様です。

    超便利になってよかったです(笑)。

    たぶん彼らは自らの行動を変えることはないと思います。
    私としては御霊の臨在を消さないようにするためには、不道徳な人々とはくびきをおなじゅうしないことだと考えています。
    昔はリベラル派キリスト教は偽物で、福音派キリスト教だけが本物と言う理解だったのですが、今の時代は福音派キリスト教の中に本物とまがい物があるという理解ですね。

    またコメントしてください。お待ちしています。

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