子供が学校に行けなくなったとき(その2)

子供が学校に行けなくなったとき、両親はどのように対応すれば良いでしょうか?
今日はこの問題を皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。
(登校拒否については様々な考え方があることを承知しています。それでこれから述べることはありのパパの個人的考えであることをお断りしておきます。しかし登校拒否にかかわるカウンセラーの一般的理解から懸け離れた考えでないことも申し添えておきます。)

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1.子供が学校に行かなくなる日

①ほとんどの子供は、学校に行きたくないと言います。

なぜ行きたくないのかの理由を言う子供はごく少数です。
それで親は途方に暮れて子供との無用なバトルが始まります。
学校にしばらくの間、登校しなくても死にはしません。
両親は鷹揚(おうよう)な気持ちで子供を受け止めることが大切です。

ありのパパの子供のとき、学校に行きたくないと言うと、親は「では畑を耕せ」と言いました。
それでありのパパは、学校に行く苦痛と畑を耕す苦痛を天秤にかけて、学校に行く方を自分で選び取りました。
その結果、苦痛が減りました。
なぜかと言うと「いざとなれば畑を耕すという道もある」と思うと逃げ場が与えられたようで気が楽になったからです。

②具体的な理由がある訴えの場合。

このような場合ありのパパなら、子供を学校に行かせるようなことはしません。
子供の訴えというものは、大人から見ると取るに足らないものに見えます。
しかし問題は本人がどのように感じているかということです。
本人が問題と感じている限り、それを尊重しなければなりません。

③自殺の予兆はあるか?

「自殺の予兆はない」と考えておく方が良いと思います。
後から考えると「あれが信号だったのではないか?」というものは確かにあります。
しかしこれはどこまで行っても後出しジャンケンであり、自殺防止の役には立たないと考えます。

どんなに小さなトラブルであっても、本人にとってそれが死ぬより辛いことである可能性はいくらでもあります。
ですから簡単に「ガンバレ!」とか言わない方が良いのです。
自分が言われて辛いことは、たとえ我が子であったとしても言わない方が良いのです。

2.学校関係者はどうすれば良いか?

①生徒が自殺したのに、学校に責任がないと言うことはできません。

ある学校では自殺した生徒がいじめにあっていることを再三訴えていたのに、「調査の結果、いじめの存在は確認できなかった」と発表しました。
しかし両親がマスコミなどに訴えた結果、学校側はもう一度調査し直し、「いじめがあったことを確認した。しかし、いじめと自殺の因果関係は不明である」と二度目の発表を行いました。

この学校関係者は自分の学校のすべての子供たちが自殺しても、それでもなお「自殺といじめの因果関係は不明です」と言うつもりでしょうか?

②教師はリーダーシップを発揮せよ。

このクラスでは昼の給食時に仲良し同士で机をくっつけて食べていたそうです。
そのどのグループにも入ることが出来なかった生徒は自殺に追い込まれました。
相談を受けた教師は「皆にお願いしてみたら」と答えました。
学校は治外法権ではありませんし、無法地帯でもありません。
中学や高校なら、仲良し同士で食べても良いでしょう。
しかし小学生にそれを許してはなりません。
なぜそんなことが分からないのか不思議でなりません。
学校は社会性を養うための場所であり、仲良し同士でつるむ場所ではありません。

③教育委員会はどのような対応が求められているか?

この事件について学校を指導する立場の教育委員会はメッセージを発表しました。
その内容は「学校は一人一人の生徒を丹念に見守り、指導するところです。今回の事件ではそれが不足していたように思います」というものでした。
この声明を読んで、ありのパパは何か他人事のように感じているのではないかと危惧しました。
誰も教育委員会から陳腐なセリフを聞かせてもらうために税金を払っているのではありません。
学校が抱える問題を的確に把握し、その問題に対して迅速に解決策を実施することが、教育委員会には求められているのです。
今回の事件では、学校にしても、教育委員会にしても、どこか他人事というか、主体的に問題にかかわった人がいないことが非常に気にかかります。

◎人の生き方は多様であり「これでなければならない」と思い込む必要はさらさらないのです。
現在ではフリースクールやホームスクールも、文部科学省から正規に単位を認められる存在となっています。
我が国の教育のどこに問題があるのかを的確に指摘し、それに対する解決策を提示できるのはクリスチャンである私たちです。
今こそ、福音の中にある豊かさを日本社会に向けて発信しようではありませんか。

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