異言についての質問に答える(その2)

今日は皆さんとご一緒に、異言についての質問に答える場合に、どのようなことに気を付ければ良いのかを考えてみたいと思います。

①ありのパパがペンテコステ派の神学生として伝統的福音派教会でインターンをやっていた時のこと。

その時、その教会の奉仕者がありのぱぱに「ペンテコステ派の人と、異言を伴う聖霊のバプテスマの話をしていると、なんか訳(わけ)がわかんなくなっちゃう」と言いました。
その時ありのパパは「訳がわからなくなったのは誰?」と聴きたかったのですが、教界内の平和のために止めておきました(笑)。
このような会話をする際に、気をつけておくべきことは相手はどの程度まで理解力があるのか、自分自身はどの程度まで分かっているのかということを予め知っておくことが大切です。
双方が相手の理解力の程度をわきまえず、自分の言いたいことだけを言うなら、それは「気狂いに刃物」と言わなければなりません。

②相手の方が信仰生活に力のなさを感じ、聖霊のご介入を求めている場合。

この場合はカウンセリング的アプローチをすることが必要です。
どこに問題を感じているのかを明確に知り、その問題に対する答えとしての「異言を伴う聖霊のバプテスマ」を適用することが大切です。
教理という石を投げてはいけません。
イエスがなさったように、私たちもすべきです。
イエスはサマリアの女に福音を三段論法的に「神・罪・救い」の順序で説き明かすことをされませんでした。
私たちは「あの場面で自分がイエス様だったら、どのように答えただろうか?」と考えることをしなければなりません。
そうしたら人々に対してどのように答えたら良いかが分かるようになります。

③相手が求めておらず、ただ神学的興味で戦いを挑んできている場合。

そのような場合ありのパパなら退却します。
なぜなら人生は短く、そのようなどうでも良いことに時間を費やしている暇はないからです。

④救いの恵みと聖霊のバプテスマの関係とは?

そもそも聖霊のバプテスマとは、救われた者としての生活を全うするために、神がクリチスャンにお与えくださったものです。
その救いとは、自力で勝ち取ったのではなく、神の一方的な憐れみによって恵みとして与えられたものです。
これは何を現しているかと言いますと「自分は無力な存在である」ということを神の御前でも、人の前でも、自分自身に対しても、認めるということです。
ですから救われた者としての生活を全うするとは、自分自身の弱さに徹して生きるということです。
救われた後も、私たちはどうしようもなく傲慢な者であり、心の中に自力で救いに到達したいという思いが残っています。
これが人間の現実であるのです。
ですから、いくら救われたと言っても、うっかりしていると救われる前の自分(即ち我力で生きる自分)が表に出て来てしまうことになります。
そうならないために、神は聖霊に満たされて生きていくという道を備えてくださいました。

⑤ペンテコステ派のクリスチャンの深層心理

救われる前提には自分の無力を認めるということがあったのを、私たちは忘れてしまいがちです。
それで聖霊のバプテスマを受けた後は、完全な信仰生涯を送ることができると勘違いしている人が案外多くおります。
この完全への執着は、救われる以前の私たちが、自力によって救いに到達しようとしたのと同じ律法主義から出ています。

現代キリスト教は教会成長運動や、繁栄の神学の影響を強く受けていますので、これらもまた聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンの耳元に「我力で頑張っちゃえば良いんだよ」と囁(ささや)きます。
このような自分の無力を認めたことが救いの前提であったことを忘れてしまったようなクリスチャンが、他のクリスチャンに「聖霊のバプテスマを受けなければ、あなたはクリスチャンとして不完全だ」と言うなら、それを言われた人は即座に、自分を救いの信仰から引き離すサタン的な惑わしとして受け止めるでしょう。
ですから異言を伴う聖霊のバプテスマについて質問をされたときには、救われた者として弱さに徹するために神が与えてくださった助けとして語ると良いでしょう。

◎真理を求める心は誰にもありますが、若い人々にはそれが格別に与えられております。
年を取ると、争いを好まないようになりますが、若い時分は聖書の真理を語って妥協することがありません。
これが祝福であることを気づくのは、それを失った後です。
『あなた方の若いときに、あなた方の造り主を覚えよ』と聖書にあります。
造り主を覚えよとは、個人的に神を知ることだけでなく、神学を学ぶことでもあります。
どうぞ、相手を思いやる気持ちをもって、神学的議論を戦わせていただきたいと願っています。

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コメント

  1. Abe より:

    この一連の、「異言についての質問に答える」についての文を読んで、私は、「一体、この方はどなたでしょう?」に、興味を覚えました(笑)。
    ペンテコステ派でありつつ、その他の記事でも、実に造詣が深く、ペンテコステ派の教理も、きわめて、きっちりしているからです。
    私が存じ上げている方かしら・・・・・????

    • arinopapa より:

      Abeさん、こんばんは。
      コメントをありがとうございます。

      おほめいただき、ありがとうございます(笑)。
      最後のご質問はノーコメントといたします(笑)。
      無名性の原則でこのブログを運営していますので、ご了解ください。

      またコメントしてください。お待ちしています。
      (日本的習慣ですと先生とお呼びすべきですが「全ての人は名乗るほどの者でない無名の存在」という原則に基づいてブログを運用していますので、さん付けでお呼びすることをお許しください)