『偽預言者に気を付けよ』とは?

今日はマタイの福音書7章15節の「偽預言者に気をつけなさい」とイエスが言われている個所を、皆さんとご一緒に見ていきたいと思います。

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①イエスの「偽預言者の定義」は私たちのと違う?

私たちが偽預言者と言うとき、それは直截的に「預言がはずれた人」という意味で使います。
しかしこのところには一カ所もそのような主張は出て来ません。
もちろん「預言は外れても良いから、バンバンしなさい」と言おうとしている訳ではありません。
ただ、イエス様の「偽預言者の定義」は、それとは違っているということが言いたいことです。

②イエスが言われた「偽預言者の定義」とは?

イエス様によると、本当の預言者は羊のようであるのですが、偽預言者は外側は羊のように見えるのですが、中身は貪欲であると言うのです。
ここでは羊=本物の預言者、狼(貪欲)=偽預言者として現されています。
狼の特徴は貪欲ですが、一体何に対して貪欲なのでしょうか?
それは欲望に対して貪欲であるということです。
色々な欲望があります。
金銭欲・名誉欲・支配欲・自己実現欲・性欲などを挙げることが出来ます。
これに対して羊の特徴は淡白である・執着がないと言うことです。

③本物か偽物かは、実によって見分けることが出来る

「実」とは何を指しているのでしょうか?
色々な実が考えられますが、まず第一に人格的な成熟を指していると考えるべきでしょう。
なぜなら御霊の内住によって私たちの人格のうちに御霊なる神がならせてくださるのが「御霊の実」であるからです。
御霊の実とは「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。
初めの三つは神に対して持つべきものであり、次の三つは隣人に対して持つべきものであり、最後の三つは自分自身に対して持つべきものであると言われます。
このように御霊の実の全ては人格的なものです。

④良い木はいつも良い実を結び、悪い木はいつも悪い実を結ぶ

これが現代ですと「良い木であっても油断していると悪い実を結ぶことがあり得るし、悪い木であっても悔い改めさえするなら良い実を結ぶことが出来る」と教えるのではないでしょうか?
確かにそれは真実ではありますが、しかしイエスは信仰者個人の「人生の実」について教えておられるのではありません。
教会に集う人々が、教会の指導者(預言者)が本物か偽物かを見分けるようにと、教えておられるのです。
現代の福音派教会では「神に立てられた指導者に従わなければならない」と信徒に教えます。
しかしイエス様はその前に、その指導者が本物か偽物かを見分けることが大切と教えておられるのです。

⑤ある人たちは聖書は当時の教会が自分に都合の良いように資料を編纂したものであると言う

しかしこれが真実でないことは明らかです。
なぜなら皆さんとご一緒に見ている今日の個所は、教会の信徒に「教会の指導者が本物か偽物かを見分けなさい」と教えているのです。
何と教会に都合の悪い教えでしょうか!(笑)
もし本当にある人たちが言うように、聖書が教会にとって都合の良いように編纂されたものであるなら、今日の個所などは真っ先に削除されていたでしょう。
このことからも確かに、人の思惑(おもわく)によらず、ただ聖霊の導きによって聖書が編纂されたのであることが分かります。
教会は神が与えてくださった聖書を追認したのに過ぎません。

◎私たちは本物と偽物を見分ける信仰生活を送っているでしょうか?
「いや~そんなこと出来ません。みんな良い人だと信じちゃう」と言われるでしょうか。
そのように仰る気持ちも分かります。
しかしこの戒めはイエスご自身が私たちに語り掛けておられることです。
自戒しつつ、信仰生活を送りたいものです。

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